震災と電気屋のおっさんと音楽の力

さて。
3月11日という日が忘れられぬ日となってしまってから2年が過ぎた。今年の14時46分は、仕事の休憩時間を使って地元の街を歩いていた。街は今日も暖かく平和だったが、多くの人が家で、会社で、そして心の中で被災地に思いをはせていたことだろう。自分もその一人だ。そして「音楽ってなんなんだろうな」なんてことを考えていた。多分その前に読んだこの記事の影響だろう。


震災後に書かれた『磯部涼「音楽の(無)力」』、そして今日のイベント用に書かれた原稿『「音楽に何ができるか?」cero×田我流 ─東日本大震災チャリティライブ─』。ライターの磯部氏が震災後に思ったことが赤裸々に書きつづられたこれらの文の中で、個人的に頭に残っていたのは

音楽論は組織論やコミュニティ論としても語り得る。その際、音楽を現実に追随させるのではなく、むしろ、音楽によって現実をリデザインして行くこと。それこそが、今、本当に必要な“音楽の力”ではないだろうか。

という震災直後の文章。そして現在になって書かれたこの文章。

 「震災に際して、音楽に何ができるか?」――実は、この問いの答えは明白だ。音楽は無力である。当たり前の話、緊迫した状況では何の役にも立たない。そのため、募金を集めたり、ひとを癒したり、鼓舞したりといった、後方支援に務めるしかない。そして、音楽は無力だからこそ、簡単に同調圧力に回収される。現状から顧みるに、3.11以降、この国でもっとも機能した音楽の力とは、問題の本質から目を背けさせることだったと言わざるを得ない。

音楽は確かに無力なのだろう。放射能に優しい音楽を聞かせても放射能がなくなる訳ではないし、荒れ狂った民衆を素敵な音楽によって無力化させるが出来るのかって言われたらね。せいぜい意気高揚のためのツールとして利用されるのが関の山なのだろう。
ただ、それでも音楽には何かの力があると信じたいのだ、と歩きながらつらつらと考えていた。


街から裏通りの方に足を伸ばすと住宅街に入る。そしてその住宅の間には小さな店が何軒かある。自転車屋、たばこ屋、電気屋。「こんな商売よく採算取れるよな」と思ってしまいたくなるような小さな店たち。今日も電気屋のおやじは表で日向ぼっこをしてる。
その電気屋の店先には修理中のテレビがあって、そのテレビが震災関連のニュースを流し続けていた。日向ぼっこしてたおやじが「おい、辛気臭くなるから音楽でも流せ」って店の中に向かって言った。


最初「うわー不謹慎だわーこのおやじー」って思った。でも歩きながら考えてみると、平和になるというのはそういうことだよな、とも思った。このおやじが「辛いものを見たくないから逃避として音楽を選んだ」のか「沈んだ気持ちを鼓舞させようとして音楽を選んだ」のかどうかはわからない。ただ、音楽にある作用として「気分を作る」というのはある。おやじは音楽で空気を変えようとしたのだろう。おっさんが聴いていた大川栄作も、今のおやじの思いが含まれてる。


音楽には自分の空気や気分を変える力はある。そしてその力は自分にしか作用しない。言い方を変えれば「音楽で自分という存在を作ることが出来る」だけだ。音楽が社会に影響を与えるのではなく、音楽によって変わることが出来た自分がいるだけだ。「さあみんなでがんばろう」も「まだまだ震災は終わってない」も、ただ素敵な音楽を聴いてリラックスするのも、荒々しい音楽で脳内の何かをぶち切ることも、全て音楽のなし得ることだ。ただ音楽が聴けると言うだけでいかに豊かなメッセージや気持ちを得ることが出来るか。どんなにクソなメッセージであったとしても「これはクソだ」と言えること自体が自分を作っている。音楽が鳴り続けていることで、こんなにも感情的に豊かになれるのだ。


そんな気分にすらなれなかった2年前。本も音楽も無力だった。社会を変えるものではなかった。でももう2年だ。前に進むしかない。震災の傷跡はまだ色濃いし、心に傷を負った人もたくさんいる。でも、誰もが傷ついた気分でいることはない。むしろその傷は早く癒されなければならない。音楽はその力になると思うし。


誰もが「震災後」のありきたりのストーリーを歩む必要はない。それぞれの思いのもとに動きだす時期だ。そしてそのそばに音楽があれば、自分らしく生きていくための手助けになるのではなんて思う。そしてそんな個人個人の思いが集まった時にどんな音楽が鳴っているのかも僕の楽しみなのだ。