死に際に見る夢
さて。どうでもいい話はこういうところに書いていく。
今までいろんな音楽を聴いてきておりますが、自身のルーツはいわゆる80年代中盤のアメリカヒットチャートにあると思っております。
自分が初めて見たベストヒットUSAの一位はa-haのTake on meでした。そういう時代です。程なくRUN DMCやビースティーボーイズなどもチャートを賑わせ、自分はアメリカヒットチャートを丸暗記する幼少期を過ごすことになりました。
時に「別に好きではないはずなのにやたら頭に残る曲」とかありますよね。自分にとってはこれでした。
いわゆる「産業ロック」華やかりし時代で、この時のチャート一位はBOSTONのAMANDAとかだったはずです。
この曲はドラッグで身を持ち崩していたエディ・マネーにとっては久々のカムバック曲で、MVにそのころ既に引退していた元ロネッツのロニースペクターが自身のヒット曲”Be my baby”のフレーズを歌うというのが話題になっていました。
ただね、田舎のガキである自分にはそんな機微はわからんのですよ。知らないおっさんと知らないおばさんが出てくるだけのビデオなんですよ。
では何でこの曲とこのMVがずっと頭に残っているのか。
周りに誰もいない世界で精一杯のパフォーマンスを見せるが、やはり節々に節々に老いを隠せないエディマネー。何度もサビで影は見せるが姿を見せないロニースペクター。ロニーの歌うBe my babyは往年の艶を保っているのですが、この曲ではバックのサウンドのキーとメロディの組み合わせの妙で、同一メロディなのに短調の楽曲になっており、ハッピーだった原曲がまるで夢だったかのようなサビ。
ロニーは最後に姿を見せ、エディと共に歌うのですが、あのシーンは自分にとって滅びゆく世界で取り残された二人が叫んでいるような印象を受けるんですね。全編通して冷たいモノクロ調でその冷たさが倍増していて。そしてなぜかそのまま遠ざかっていってしまうロニー。
自分にとって、このビデオは「死に際に見る夢」みたいなイメージをずっと持っています。エディは「Take me home tonight」と叫んで「Listen honey, just like Ronnie sang」と歌う。なんとご本人が登場して”Be my little baby"と歌ってくれる。ここでエディの夢は一つ叶う。ただ、このMVではエディのことを置き去りにしてロニーも去っていくのです。死ぬ前の走馬灯ってこんな感じなのかなとか、このビデオを見るたびに思い出します。
実際にはロニーはこの曲への参加がきっかけで音楽界に復活し、エディとツアーをしたりもしているので、これはRUN DMCとエアロスミスのような「幸福なフックアップ」の一例なのでしょうが、この曲を聴くたびに自分は走馬灯を見ているような気持ちになぜかなるのです。死ぬまでそうなんかな。
2022→2023
さて。
お久しぶりになります。幸いにして、健康です。
ここ2年は激動の期間でした。2022年はその総まとめともいうべき1年でした。外的環境は相変わらず混乱を極めており、私個人としても本当に色々と環境が変わり、今後の人生において転機となった年とも言えるかも知れません。
過去一音源を購入した年でもありました。自宅での作業の合間に、ふと気づくと毎日CD/レコードが配達されてくる日々となっておりました。
とは言えども、あまり新譜に手が回らず、俯瞰的に聞けていたかといえば微妙です。買っていたのは主に70年代〜80年代の自主制作盤、マルチ商法やスピリチュアル系レコード/CD、あとゲーム音楽でした。
さて、そんな中2DColvicsさんに年間ベスト納めました。
2Dcolvics : 2022 BEST ALBUMs In 日本語ラップ (Selected by 靴底)
2Dcolvics : 2022 BEST SONGs In 日本語ラップ (Selected by 靴底)
ランキングを作りながら自分の中で思ったのは、
・もうアルバム単位でのランキングは作りづらいな
・極力フラットにはしたつもりでも、聞くプラットフォームで多分ランキングが変わる
・ちょっと前まではSNSが音楽の情報交換のメインだったけど、もう今は違うっぽい
・もう自分には「日本語ラップ」の現在地はわからない。ヒップホップ/非ヒップホップとかそういう軸で分けるべきなのか、それとも変容していってる「ラップ的歌唱法」を「日本語ラップ」の系譜に定義すべきなのか。
とかです。今回のランキングは上の悩みが丸々反映されている感じです。
来年も「日本語ラップ」のランキングを作れるのかってのは正直わからないなって思ってます。
ただリアルタイムの音楽を聴くのも過去の音楽を聴くのも、今が一番楽しいと思っています。Twitterに呟かないだけで音楽はたくさん聴いてますし、めちゃくちゃ楽しいです。今後も楽しいことがたくさんあるといいのですが、なかなかそうもいかないのかもとか思っちゃったり思わなかったり。
サワキカスミ大先生とお笑いについて話をしたこと
さて。以前太陽レコードのサワキカスミ大先生と話をしていた時に、サワキ大先生から
「(ビート)たけしが悪い、あいつが世の中に毒ガスを撒き散らしたせいで世の中のモラルやいろんなものがむちゃくちゃになってしまったんだよ!」
という言葉が出てきた。正直サワキ師のそれまでの活動はたけしの毒ガス、ひいては毒舌やアンチモラル的な佇まいとむしろ親和性が高かったのではとすら思っていたのでその真意を聞いた。
「赤信号、みんなで渡れば悪くないとか、あれは日本人の同調圧力を悪い方向に持っていってしまったんだよ!それからみんなで軍団を作ってつるんだこと。体育会系の上下関係を芸事に持ち込んでしまった。その結果があれだよ、素人を熱湯につけるテレビの。あれはほんと最悪だ!」
サワキ大先生がたけし軍団やスーパージョッキーまで把握してるのにはちょっと驚いたし、かなり前で情報がストップしている(サワキ大先生は今シドニーで雌伏している)。ただ言ってることは火の宮の頃から一貫していた。同調圧力への抵抗、民族主義でもなく宗教でもないもっと偉大な「何か」への敬意(それを一般層に伝えるのにサワキ大先生は「星占い」で説明したり、時には右翼的佇まいや「太陽教」のような擬似宗教で解説していた)。個体の人間同士での争いの無意味さ、とはいえ人類というものには大きな叡智と未来があるという希望。
話がちょっと逸れるが、サワキ大先生は音楽に関してはもうレゲエしか興味がなくなっているので、レゲエの話をよくしていたのだが、常々「バビロン」という言葉の使用法に苦言を呈していた。ヒップホップでもレゲエでも「社会の支配層」みたいな意味合いで「ファックバビロン」的な言葉を使うが、
「あれはバビロンという言葉を誤解している、バビロンの叡智というのはそんな単純なものじゃないんだ、もっと大きな、普遍的で、もっと豊かなものなんだよ」
と悲しんでいた。
これは私感ではあるのだが、今のお笑いのほとんどは「差異を見つけて笑うもの」だと思っている。「普通」という強固な軸の中でそこからズレてみたり、噛み合わなかったり、破綻してみたり、違和感を感じさせたり。この「普通」が強固であればあるほど笑えるというのが今のお笑いなのだろうと思う。ひいては「進化すればするほど『普通』を強化していく」という性質があるのかもしれない。
先のサワキ大先生のたけし批判はこの「普通」を崩してしまったこと、たけしの「悪意」が一世を風靡することで世間の「普通」軸が崩れ、その因果として野放図な社会を生んでしまったことへの批判だったのだろう。その後サワキ大先生は映画監督になり「権威者」になったたけしに関しても、その悪意を「成功者」に仕立て上げてしまった社会に対しても悲しんでいた。
またこの話はサワキ大先生と深掘りしていきたい。
架空の民衆
さて。紆余曲折あり、ITの世界にまた足を突っ込むことになっています。まさかまた赤坂に来ることになるとは思わなかった。
昔通っていた店もだいぶなくなってしまった。赤坂ラーメンとかもう無くなってしまったのな。接待で使った店も空き家になったり、安価なテイクアウトで凌いだりしようとしている。どこかしら乾いた諦念のようなものが暖簾や外装に見え隠れする。店には頑張ってほしいとは思いながらも、やはり積極的に外で飯を食うことに何となくの抵抗感があり、足早に通り過ぎる。この1年間で生まれた心の枷はなかなか取れない。
久々に昔にも付き合いのあった大きな会社の会議に参加した。知識をひけらかす新人、概念を振り回す中間管理職、原則論で存在感を出そうとする上司。結論の出ない会議。最終的な話はいつも「人が集まれば何でもいい」「数字が出せれば何でもいい」なんだけど、この言葉をいきなり言わないようにするためにブレストをやったり勉強会をしてみたり定例会をやったりするんだよね、色々思い出してきたよ。会議のための会議が多いのはオンラインでもオフラインでも変わらない。
昔この手の仕事をしながらマーケとかに関わっていたときによく思っていたのが、「確実な顧客」と「架空の民衆」の違いに関してだった。
例えばとあるサービス企画があるとして。これを絶対に利用したいと思ってるのが「確実な顧客」。そして会議でよく語られるのは「一般層を顧客にするためにはどうしたら良いか」なのだけど、ここで語られる「一般層」が会議やブレストを経て「架空の民衆」に化けていくのをあちらこちらで見た。雑な「一般層」にペルソナを当てはめようとしたりして定型化しようとしたものをこねくり回して、会議で上長に理解されるためにさらに定型化した結果、見たことも聞いた事もない「架空の民衆」ができあがる。
いろんな組織でいろんな会議があり、あらゆる場所で架空の民衆が生まれていく。でも不思議なのはこの「架空の民衆」が複数の会社や組織で、概念として共有しやすかったりするのだ。個人的には「数字的なエビデンスを求めるため、既に数字として情報に上がっているものに偏りやすくなる」「会議で上長に理解されるために簡略化する」「異なる社会風土に共有しやすくするために、それなりのストーリー性が出来上がっている」のが原因なのではと思ったりしている。
当然会議では「これはきちんとエビデンスに沿ったマーケティングです」という話になるが、マーケティングにもエコーチャンバーが存在するのだ。企業や組織同士が話し合う「民衆」の話がリアルの民衆とかけ離れていくのは、それが原因なのだろう。
この「組織」には「国」も含まれるとは最近よく思う。同床異夢というより、単純に異夢を見せてるし見せられてるし、そういう話は組織の中では通じないからいつまでも是正はされない。難しい話ですよね、と。
政治家は「実際の民衆」と「架空の民衆」をうまく使い分けていると思うよ。あとYoutuber。そしてその使い分けのカラクリみたいなのはなるべく知られないようにしてるんじゃないかな。わからんけど。
2020〜2021
さて、本当に年に一度くらいしか更新しなくなってきた謎ブログです。
今年は2DCOLVICSさんのところに年間ベスト提出しました。
去年はお休みしたけど今年は年間ベストとりあえず選んでみました、でも正直もっと色々新しいアーティストが出てたのに全然聴くのが追いつかなかった感
— 靴底██ (@komtarr) 2021年1月6日
SONG - https://t.co/icDCiy8VPF
ALBUM - https://t.co/qUGfiktUw0
女性アーティストの大躍進と、断絶と不器用な対話ってな感じがあったなーなんて思いました。
まあ何はともあれ2020年はコロナで始まりコロナで終わってる感じはありました。そしてこの外圧(未知のウイルスとの戦いはもはや戦争でしょう)によって、強制的に進められた時計の針や黒船よろしく「開放」を迫られた物が山ほどある気がします。ここ数十年で「失われた〇〇」なんて名前をつけて棚ざらしにしていた案件は全部棚卸しを迫られているなーなんて感じました。
かくいう自分も2020年はマジで激動でした。もう自分の人生でここまで一気に色々変わる機会はないんじゃないかってくらいに激動でした。生き残れてよかった、まだ安心はできないけど私は生きております。
そして2021年、今年は過去からの因縁を決算しなければならない年になるんではないかな、なんて予感がしています。この因縁というのはなかなか根深い話です。例えば、「過去に良かれと思って作られてきたものが、なんとなく積み上げられて解消するにも大変になったもの」みたいなのも「因縁」だと自分は思います。今まではゆっくりと時代に合わせて解いていくものだったのでしょうが、もうそれでは間に合わないからなんとかしなければならないし、それによって激変していく世界に対応していかなければならんのだろうなあと思うのです。
音楽なんかの世界も変わるんだろうなあ、なんて思ったりします。特にライブを封じられたロックやダンスミュージックの変化は顕著になるんだろうなあとか。そして何よりも、時代の写し鏡としてのヒップホップ・ラップがどう変化していくのかとかすごく興味があります。恐ろしい未来も素晴らしい未来も想像できるだけに楽しみでしょうがない。
個人的に気になるのは「これからのストリートはどこにあるのか」です。ヒップホップやダンスミュージックのようにコミュニティから生まれる音楽はきっと今までの概念では想像できない場所に新たなストリートを作るのだろうなと思っています。ちょっと前まではそれはSNSにできるのかと思っていたけどどうやら違うみたいな。ではそれは例えばTwitchのようなゲームカルチャーと並走していくところにあるのか、リアルの「ショップ」という概念が更新された場所に新しくできるのか、もしくは壮絶なバックラッシュが起こり政府主導の音楽ムーブメントが席巻するのか…。
いろんなものを懐かしむのも良いのですが、今年はいろんな人と未来の話をしたりしたいなあなんて思います。てか私もう45になるんですが、懐かしんでいるうちに殺される世代だと思っておりますので、前向いて走ってかないといけないですよね。
今年も頑張ります。では。
転職エントリとかみたいなもの
さて。ブログを書くのも久しぶりとなってしまいました。
まず最初に、2019の年間ベストをこの時期には選んでたのですが、現時点でまだ選べていません。と言うか、去年の後半がぐちゃぐちゃすぎて選べてない+聴けてないので年間ベストを選べる状況には無かったというのが正直なところです。
ざっくり言うと、去年の前半に病気が見つかり、やっていた仕事(家業でした)を辞める事になったのですが、結果的にその仕事ごと事業売却をするということになり、想像以上にタフな交渉をすることになりました。最終的には年末に事業売却の契約がありがたい条件で成立し、私も手術と入院を経て残務を今月に終わらせて今の事業を完全に離脱することになります。
嫁さんにはむちゃくちゃ心労をかけてしまったと思います。ハードランディングではありましたが、ついて来てもらって感謝しかないです。
現在は生活に不都合が全くないとは言えないのですが、デスクワークや軽作業などには問題がない程度に復帰しました。幸いにして早速今の私にできる仕事を紹介してくださる方もいたこともあり、無事に再スタートを切っております。
そんな中のコロナウイルスパニックで「お前こうなるのわかってて事業売ったべ」みたいなことも言われたりしております。わかるわけねえじゃねえかよ、正直消費税増税で「これからやべえかもな」くらいは思ってたけど。
とは言え、全く予想してなかったかというとそうでもないのです。例年のインフルエンザの流行やさっこん景気の減退傾向を見ながら「何かしら手を打たないとまずいな」みたいなことは考えていて、その対応策として事業売却や資本増強などは考えていたので、このような不測の事態にも判断に悩むことはありませんでした。
今後は個人でいろいろ動いて行く予定です。仕事の受け皿として会社を立ち上げてしまったので、頑張って稼ぐしかないです。でもこの未曾有の事態にフリーで動ける立場にあるというのは実にありがたいことですので、いろいろとやってみたり勉強したりしたいと思います。今は勉強がむちゃくちゃ楽しい時期になってまいりました。
やってやるぞの精神でやってまいりますので、皆々様引き続き何卒よろしくお願いします。
デジタルに漂う呪いのような話
少し前の話になるけど。
知り合いの娘さんが死んだ。理由は教えてもらえなかったが、奥さんの口ぶりや態度から見るに自殺だったらしい。生前の写真がいくつかFacebookにあがっていた。かわいらしい女の子だな、と見ていくうちに、一枚の集合写真に目が行った。これは俺の知っているアイドルグループのアー写じゃないか。
自分は全く知らなかったのだが、娘さんは親元を出てアイドルをやっていた。自分はたまたまそのアイドルを知っていた。知っていただけで接点はない。ただ「ファン界隈の治安の悪い地下アイドル」という印象だけは持っていた。アイドルとしての公式のアカウントは彼女が死ぬ一週間前まで動いていた。あまり周囲に恵まれてないのか、ツイートには不平不満が多かったが、ファンのことは好きだったようだ。その子はアイドル活動初期で脱退をしていた。脱退理由がツイッターやネットの片隅で噂されてたけど、メンバーと折り合いが良くなかったらしい。彼女の脱退後、メンバーもファンたちも彼女のことに一切触れることはなくなった。
葬儀の時に自分は初めて娘さんの本名を知った。ついその名前で、ツイッターのエゴサーチをした。するとその名前と携帯電話の番号をもじったIDのアカウントが出てきた。いくつかのツイートしかなかったが、そこに出てきたのは目隠しをされ縛られた女の子のセックス動画だった。
見た瞬間さすがに自分も色を失った。そこに出てる女の子が棺の中で見た女の子と同じだったのだろうか。自分にはそれを判断する自信がない。押し殺した笑い声とすすり泣きが聞こえる。とりあえず、ブラウザを閉じた。
自分はこれをどうしたらいいのかわからなかった。知り合い本人に言う…? 言えるわけがない。「あなたの娘さんの名前でポルノが上がってますけど、いや自分はたまたま見つけただけで」…言えるわけがない。探偵ごっこのようなこともやってみた。フォローフォロワーのあたりを漁って、何かしらのきっかけを見つけられたら…。しかし自分の力で出来たことは何もなかった。
結局自分が出来たのはツイッター社への通報だけだった。いろんな手段で通報をしてみた。何度も。しかしそのアカウントが消えることはなかった。直接的なわいせつ物は画面上には写ってなかった。ツイッター社の基準では「これはセーフ」なのだろう。
このアカウントの存在を知っているのは何人いるのだろう。もしかしたら、犯人と自分しか知らないかもしれない。犯人すらもう忘れてしまっているかもしれない。しかし自分は周期的にこのアカウントのことを思い出してしまうようになった。
エゴサをする。アカウントの存在を確認する。通報する。これをもう年単位で繰り返している。彼女の名前はネットにずっと漂っている。誰にも望まれぬまま。自分はうっかりその存在を知ってしまった故に、この存在と関わり続けている。いつか何かの手によってアカウントが消滅した時、やっと解放されるのかもしれない。しかしそれはいつになるかは、わからないままだ。本人も周囲も誰も望まない形で、彼女は漂っていて、消すことができない。自分は多分デジタルに漂う亡霊のような、呪いのようなものに取りつかれているのだ。