サワキカスミ大先生とお笑いについて話をしたこと
さて。以前太陽レコードのサワキカスミ大先生と話をしていた時に、サワキ大先生から
「(ビート)たけしが悪い、あいつが世の中に毒ガスを撒き散らしたせいで世の中のモラルやいろんなものがむちゃくちゃになってしまったんだよ!」
という言葉が出てきた。正直サワキ師のそれまでの活動はたけしの毒ガス、ひいては毒舌やアンチモラル的な佇まいとむしろ親和性が高かったのではとすら思っていたのでその真意を聞いた。
「赤信号、みんなで渡れば悪くないとか、あれは日本人の同調圧力を悪い方向に持っていってしまったんだよ!それからみんなで軍団を作ってつるんだこと。体育会系の上下関係を芸事に持ち込んでしまった。その結果があれだよ、素人を熱湯につけるテレビの。あれはほんと最悪だ!」
サワキ大先生がたけし軍団やスーパージョッキーまで把握してるのにはちょっと驚いたし、かなり前で情報がストップしている(サワキ大先生は今シドニーで雌伏している)。ただ言ってることは火の宮の頃から一貫していた。同調圧力への抵抗、民族主義でもなく宗教でもないもっと偉大な「何か」への敬意(それを一般層に伝えるのにサワキ大先生は「星占い」で説明したり、時には右翼的佇まいや「太陽教」のような擬似宗教で解説していた)。個体の人間同士での争いの無意味さ、とはいえ人類というものには大きな叡智と未来があるという希望。
話がちょっと逸れるが、サワキ大先生は音楽に関してはもうレゲエしか興味がなくなっているので、レゲエの話をよくしていたのだが、常々「バビロン」という言葉の使用法に苦言を呈していた。ヒップホップでもレゲエでも「社会の支配層」みたいな意味合いで「ファックバビロン」的な言葉を使うが、
「あれはバビロンという言葉を誤解している、バビロンの叡智というのはそんな単純なものじゃないんだ、もっと大きな、普遍的で、もっと豊かなものなんだよ」
と悲しんでいた。
これは私感ではあるのだが、今のお笑いのほとんどは「差異を見つけて笑うもの」だと思っている。「普通」という強固な軸の中でそこからズレてみたり、噛み合わなかったり、破綻してみたり、違和感を感じさせたり。この「普通」が強固であればあるほど笑えるというのが今のお笑いなのだろうと思う。ひいては「進化すればするほど『普通』を強化していく」という性質があるのかもしれない。
先のサワキ大先生のたけし批判はこの「普通」を崩してしまったこと、たけしの「悪意」が一世を風靡することで世間の「普通」軸が崩れ、その因果として野放図な社会を生んでしまったことへの批判だったのだろう。その後サワキ大先生は映画監督になり「権威者」になったたけしに関しても、その悪意を「成功者」に仕立て上げてしまった社会に対しても悲しんでいた。
またこの話はサワキ大先生と深掘りしていきたい。