佐久間正英の苦悩と音楽業界の未来と音楽の未来

さて。今さらだし乗り遅れた感満載だし、もういい加減たくさんの人がこの件について語った。でも書くよ!!いまさらだけどね!!


みんな佐久間正英さんのことはもっと無条件で褒め称えた方がいいと思うよ。個人的には坂本龍一とかよりはるかにすげえって思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E6%AD%A3%E8%8B%B1
こと80〜90年代のバンドの楽器演奏にはものすごく影響を及ぼしている。「音」という一点にターゲットを絞るとこれほど影響力の大きかったプロデューサーはいないんじゃないかな。四人囃子プラスチックス〜BO〓WYやGLAYのプロデューサーみたいな経歴が特にもてはやされているが、この人のプレイヤーとしての評価の低さに愕然とする。オリジナリティの塊のような人ですよ。日本のベーシストでピック弾きの人間が多いのも、エンジニアが硬めのサウンドセッティングをするのも全部この人の影響下にあるからだと思ってる。そしてこの人の「80年代、NYでイギー・ポップトーキング・ヘッズやB-52'sと何かやるくらいなら東京にいたほうが面白かった」というのは至言だ。

http://www.4nin.com/famille/interview/saku9807.html
○プラスティックスを辞める時の動機っていうのは?
それはもう成功しちゃったから。色物で成功しちゃえば別になんか...方法論は正しかったっていうだけで。で、あとは80年代のアタマに、僕自身にあった問題っていうのが、プラスティックスやってて、で、次どうするかっていった時に、プラスティックスはもう辞めるとして、そうするとニューヨークに残るか、東京でお仕事するかっていう二者択一しかなくて。ニューヨークに残るっていうのはその時代のニュー・ウエーブ・シーン、トーキング・ヘッズだB-52’sだ、って。具体的には、僕は残っていればB-52’sに入ってたろうなって思うんだけど。
で、そういう事をやるか、あるいはイギー・ポップと何かやるとかと比較した時に、東京の音楽シーンの方がずっと面白かったのね。ちょうどアイドル御三家、マッチ、トシちゃん、キョンキョン...そういう時代で、そっちの方が純粋に音楽的にお仕事として興味深かった。僕がプラスティックスやって、ワールド・ツアーやって、アメリカで一緒に回ったりしたどんなバンドよりも、マッチとかトシちゃんとかの方が面白かったわけ。

○どのあたりが?
音楽的に興味深かった。それに、筒見京平とかそういう天才作曲家がいるのも面白かった。

四人囃子の公式サイトに掲載されたこのインタビューは80〜90年代の音楽史を語る上で必見だろう。もし日本に佐久間正英がいなかったらって想像すると恐ろしい。テクノもポップスもヴィジュアル系も生まれなかったかもしれない。多分ニューイヤーロックフェスに出てくるような人間しか音楽シーンにいなかっただろう。おそらく芸能事務所と音楽シーンは今よりもはるかに不透明になっていて、ライブハウスのシーンなんか壊滅してただろうな。いや、誇張抜きでそう思います。
好き嫌いはあるかもしれないが間違いなく「ジャパンオリジナル」を作った人です。確実に。しかもその先のシーンの形成、新人バンドの育成までバッチリ行いながら、あの頃の音楽プロデューサーとしては珍しく音楽業界を漂う政治家ではなく、「音楽家」であり続けたことも特筆されてしかるべきでしょうよ。この人は音楽を作る「職人」ではないんです。この人は一貫して「音楽がこの世の中にどうかかわっていったら面白いのかを考えている」人なんですよ。


で、そんな佐久間正英がこんなエントリーを出すから重いんですよ。

楽家が音楽を諦める時
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html

「いや、音楽なんてもっと安く作れるでしょう」「切り詰められるところはいくらでもあるはず!」「ニーズがないんだから衰退すべきだなpgr」いろんな意見があった。大多数は「音楽にそんなにお金をかけるなんて」みたいな論調だったと記憶している。


あのな、音楽を安く作る方法なんて佐久間正英はとっくに知ってるし、いろいろ新しい作り方にトライもして毎日一曲オリジナル楽曲を無料配信するくらいにはがんばってるのさ。毎日だぞ。

おやすみ音楽
http://masahidesakuma.net/goodnight-to-followers.html

ボーカロイドとかだってとっくにトライしてるし、製作スピードだって早い早い。

あの佐久間正英氏がなぜVOCALOIDを?
http://togetter.com/li/17326


この佐久間正英のエントリーに対する反論エントリーでこちらのエントリーが話題になっていた。

金がないから「いい音楽」作れない?〜ビジネス感覚なき職業音楽家の末期症状
http://kasakoblog.exblog.jp/18220333/

この人は「商品としての音楽=音楽」という論点から話が行ったり来たりする。「100円均一の商品にも素晴らしくいいものはある!」という論調に近い。まあ、そういうものもあるだろうさ。「ユニクロは高品質低価格を実現してる」とかにも近いな。ただ、それは消費物としての音楽の話だ。想像して見てもらいたいのだが、今AKBが無音のCDを出してそれに握手券をつけたら100万枚売れるだろう。これは音楽にとって幸せなのかどうなのか?
消費物としての音楽を語るということは突き詰めるとそういうことだ。中身の音楽が高品質かどうかっていうのは制作者側の良心に依存する。「安かろう悪かろう」と「安いけれども高品質」が混在する中で、「安かろう悪かろう」が淘汰されるとは限らないのがビジネスだ。音楽のみの魅力がその商材の魅力ではない。流通、販売方法、タイミングなど全て込みで初めて「音楽という商品」は魅力を生む。

よくもまあこんな煽動的な文章をとは思いながらも、まるで論点ずれてんじゃねえかって思いながらも、納得する部分もあった。

音楽業界が今、大きく様変わりしようとしていて、
そうした取材をする中で最近すごく感じるのは、
もしかしたら今までの音楽業界が異常だっただけで、
今はもしかしたら「普通」に戻ったんじゃないかと思う。
誰かから依頼されて作った音楽や、
誰かから依頼されて歌ったり演奏したりするお金は発生しても、
自分で勝手に作った音楽にお金が発生しないのが、
もしかしたら本来の音楽のあり方なんじゃないかと。

ここは本当に納得。「音楽を作っただけでお金になる」と思っている人間が多すぎる。


そういう意味ではこの記事は腑に落ちる部分の多い記事で。

競争戦略論の枠組みを使うと音楽産業の変遷がわかるのでは? - 業界衰退の理由と競争要因の変化を分析してみた
http://blogos.com/article/41818/?axis=p:0

特にこの部分。

<競争要因の変遷> ・音楽の内容(分散事業の時代) ⇒ ・音楽と一体化した広告、テレビ、ファッション(規模事業の時代) ⇒ ・なにもなし(衰退産業の時代)

しかし、既存の音楽業界は、新しい競争軸を打ち立てることできず、権利保護ばかりで漂流しているし、音楽家も音楽の内容が大事だという議論に先祖帰りしようとしている。 これが現状だとおもう。

その通りだと思う。「商品」と「文化」を同時に語ろうとするのが間違いなのだ。
例えば「クラシックに商品的価値はありかなしか」で想像してもらえればいい。ビジネスという視点のみで考えたら価値はないだろうさ。売れないし。人ばかりかかるし。ただ、だからと言ってクラシックというジャンルはなくなるべきかと言われたら、自分はそうじゃないだろうなあとは思う。それを便宜上世間では「文化」と呼ぶ。保護されるべき対象、受け継がれてゆくべき対象なのだ。


佐久間正英は「職業音楽家」の視点から「文化」としての音楽を危惧し、音楽の行く末に警鐘を鳴らした。それに対して悲しいまでの悪あがきをする音楽業界。確かに末期症状だ。


日本にとって音楽とは何だ?音楽は我々に何を与えている?音楽ってそもそも何なんだ?


音楽とビジネスと文化の話を混同して感情論で埋め尽くす前に、また理解し合えない意見を排除する前に、もう一度我々にとって音楽が何なのかというのは考えてもいいと思う。
最後に佐久間氏のコメント。

楽曲の話しはひとまず置いておいた上で、僕にとっての良い音とは大雑把に言うと「良い楽器(良い声)」「良い演奏」「良い録音」(ライブに於いては最後の項目が「良い再生環境(PA,会場)」と言い換えられます)の3点に絞られます。全てはより良い音情報を伝えるためです。その為には多くの知識・経験、また楽器を含む機材(新旧問わず)が必需となります。

今の時代、安価にお手軽に音楽を作ろうとすればいくらでも簡単にすることもできます。僕自身そういう手法で作る場合も少なくありませんし、それによって音楽の質そのものが劣化するとも単純には考えません。
ただ、より良い音情報を伝えて行く責務も感じます。その為にひたすら日々精進し勉強し思考を続けています。
それは音楽が”売れる・売れない”、音楽家が”食える・食えない”等と言った論議とは無縁の音楽人として追求すべき必然なのでしょう。