人はなぜ生きるのか

さて。すごいタイトルつけちゃいましたけど、タイトル通りの話です。
正直「今のところこう考えてる」ってだけで、現時点でのメモのようなエントリなんですいません。


先日ふとしたタイミングで「人はなぜ生きるの?なんのために生きてるの?」っていう重量級の質問をカジュアルに受け取る機会がありまして、これに対する答えを即用意する必要があったわけです。困ったら即googleに聞くチート系の私としましては当然「人 なぜ生きる」とかで検索してみたわけです。しかしまあ、なんというか、これという答えが見つからぬわけです。


トップに出てきたのはこれでした。

私達が求めるべきものは真実です。すなわち、「本当の自分を知ること」です。これ以外人生の目的はありません。
成功者とは、真実に少しでも近付けた人のことをいうのです。 
http://space.geocities.jp/gjdtk960/truth/002.html

どうなのでしょうか、真実。真実とは。真実を探しに最後まで読んだところで「ああ、キリスト教の勧誘だったのか」と気づきました。これは理解できるまで時間がかかりそうです。

次に出てきたのはこれでした。

どこにも明答を聞けぬ中、親鸞聖人ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はない。
「万人共通の生きる目的は、苦悩の根元を破り、“よくぞこの世に生まれたものぞ”の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである。どんなに苦しくとも、この目的果たすまでは生き抜きなさいよ」
http://naze-book.com/chapter1/section01/

サイト名自体が「なぜ生きる 公式サイト」です。親鸞の教えだそうですが、これもやはり先と同じように「物事の根本を探ることで自分の存在意義を見出す」みたいなことなのでしょうか、わかる気はしますが、これも理解できるまで時間がかかりそうです。
Googleでもサジェストで「生きる 意味」とか「人 なぜ生きる」とか出てくるのに、やはりこれには明確な答えはまだ無いようです。


ちょっと話を戻しますが、この質問は2人からたまたま同時期にもらいました。一人は「動物や植物を犠牲にしてまで人間が生きる価値があるのか、自分は死ぬべきでは」という人でした。もう一人は不妊に悩み「生殖が出来ないということは人としての価値が無いのでは」と悩む人でした。どちらも大きな問題です。「真実」や「目的」が彼や彼女のためになるのだろうか、彼らの心を救えるのだろうか、と思いました。そこで「人はなぜ生きるのか」という話です。


人間とは弱い生き物です。寒くても死ぬし、暑くても死ぬ、ちょっととんがったものに触ればすぐ傷つき、その力は他の動物に遠く及ばない。実際の話、人間はこの環境の中で即滅んでもおかしくないだろうし、地球の盟主などと呼べるようなスペックの生き物ではないのです。
でも人間は生き残った。その生存戦略とは何だったのか。それは「弱いものを徹底的に守ることで各個体が支配できる領域を増やす」ことです。人間は弱い生き物ですが、その人間の中にもさらに弱い個体が存在します。その個体を徹底的に守ること。子どもや老人、障害のあるものないもの、あらゆる個体を少しでも多く生き残らせることによって、地球上で生存できる領域を増やすこと。それによって他の生物の生存領域を狭め、人間の生存領域を守ること。これこそが人間の持つ根本的な生存戦略です。人間は他の動物と戦わず、人間の生存領域を守ることのみで生きる道があるのだと考えます。


そういう意味で「人はなぜ生きるのか」の答えは「弱いものを守ることこそが人間の生きる意味であり、自分より弱い者がいるのであればそれを守ることこそが生存戦略であり、人の存在価値はそこにある」といえるのだと思います。


種としての弱さを認め、社会を築くことでしか生存できぬ意味を知り、その上で「種を守るための社会」としての一員としての意味を見出すこと。


言い換えれば「自分が守らねばならぬ人がいる限り、生きて守れ、それが人の道だ」ということなのでしょう。俺もがんばります。