俺のオタク道とは

さて。年に数回しか更新しないブログの更新だよ。

今日はこれを読んでました。

アニメ見放題時代の、オタクおじさんの行く道 - シロクマの屑籠
http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20180419/1524133119

わかる〜わかりみある〜みたいな感じです。調べてみたらシロクマ先生俺と同い年。そりゃ同世代の語る話だから肌に合わないはずがない。

どだい、三十代や四十代にもなって、十代や二十代と同じ感性・同じ態度でアニメやゲームに接しているほうが、中年のありかたとしてはどこかおかしい。いつまでも続く夏休みなんて存在しないのだ。

この辺でハートをグサグサされて

それよりは、精神的・肉体的な加齢にあわせて趣味生活を軌道修正していくほうが、人として無理が無いだろう。過ぎていくものを嘆くより、来るものを喜び、あるがままに生きたほうが人生はきっと生きやすくなる。それは、アニオタの道やゲーオタの道だって同じではないか。

この辺で「そうかもしれない…」と弱気になり

思春期に思春期らしいオタクライフを過ごすのは、もちろん素晴らしいことだ。そういう時期に出会ったアニメやゲームは魂の一部になる。でも、そういう時期が終わった後も人生は続くし、魂の特等席をなにがしかの作品が占拠してしまった後も趣味生活は続く。私はそういうのを投げ捨ててしまうのでなく、ぎりぎりまで楽しんでいきたいと思う、たとえそれが、後退戦のような趣味生活になったとしても。

この辺で完全に意気消沈しながら「そうか…そうなのかな…」と最近嫁に「聴かないCDいつまで持ってるの?」と聴かれたことを思いだしながらユニオンの出張買取のページとか開いてみたりするわけです。


 思えば昔にもこんな話を先輩とした気がします。その時先輩は「いいか、若いうちは自分の好きなものを存分に楽しめよ。その中で自分が本当に好きなものを見つけて、社会人になって安定した収入を得たらそれを人生かけて追い求めるんだ。それがマニアの道なんだ。それがマニア人生なんだよ。」って俺に教えてくれました。俺もそれを目指していた時期もあった。しかし今の自分はどうでしょうか。完全にマニアになりそこね、蓄積もせず、フットワークの悪いオタクになっているのが現状です。

 でもですね、自分はまだこの生き方をやめられないしやめる気もないのです。私が音楽というか趣味を通して得たかったのは、結局のところ「衝撃」なのです。昔を懐かしむことや完成度の高い作品を愛でることではない。日々の生活や世情、さらには自分自身の老いすらも包括しながら、その上で自分自身の世界観を変えてしまうような何かを、掻き立てられる何かを未だに求めているのです。
 とどのつまり、私が目指しているのは言うなれば、刃牙の渋川剛気であり、剛の道をあきらめた郭海皇でもあるのです。あらゆるコンテンツや情報が座って手に入れられるこの時代に、朽ちていく己の体と知能で真正面から戦いを挑む道を見つけること。それが自分自身のオタク道なのだろうな、と最近は思います。嫁にこの話をしたらすごく嫌そうな顔をしてましたが、それもまた人生であり、戦いなのでしょう。