アンドロイド⇔ヒューマノイド⇔ヒューマン

perfume初音ミクはまるで違うものだ。ただ、出発点が違えど最終的に「人間になろうとしているが、人間になれない」という点で共通している。perfumeはまずコンセプトワーク的な問題で「歌わない」というアイデンティティを必要とした。「デジタル」「テクノ」などと「キッチュ」や「ハイファイ」。使い古された80〜90年代のコンセプトを再度徹底させること。それは人間としてのキャラクター性を持ちながらも「ミスを決してしない愛嬌あるヒューマノイド」というような立ち位置。perfumeは(偶然かも知れないけど)その立ち位置を確立した。全くもって稀有な存在だ。
逆に初音ミク。ファンコミュニティの圧倒的な後押しを受け「人間」を目指す架空の歌姫。しかしここで重要なのは「誰も人間になってなんか欲しくない」という所だ。正直初音ミクをもっと人間に近づけることは出来る。根気さえあれば。「まるで人間が歌ってるみたい」にする事は出来る。しかし、それはだれも望んでいない。「初音ミク」は「初音ミクの世界」の中で活躍すればいいのだ。練習に練習を重ねてアレサ・フランクリンになった初音ミクをみんな見たいかという話だ。おそらく皆はNOを言うだろう。ボーカロイドは人間を目指しながら、人間であることを許されない。「ミスを決してしない愛嬌あるアンドロイド」が求められている初音ミクの姿。


「ミスをしない」「裏切らない」アイドルや歌い手が求められるようになった。皆、人間っぽい「揺らぎ」や「感情」に疲れているんだろうか。でもperfumeファンもボーカロイドのファンも最終的には相手が「人間に近づいてくれる」ことを願っているように思う。そこにある矛盾や心の揺らぎこそが実は一番人間臭い部分だったりもするわけで。