2chという言論のステージ

2chとかを見てるとたまーにとんでもなく思慮深い名無しの哲学者がいるときがある。名無しだから同じ人間かどうかは知らないけど。たぶん、市井に暮らす一市民なんだろうけど「生活」という土台があり、ある種の哲学に結びつき、2chという井戸端でちょっと披露して周辺が驚く、みたいな。
吉本隆明ってそういう人のイメージもあった。板を横断して語るんだけど、どの板でも一目置かれるみたいな。で、そういう人ってすごくその板の住人からは嫌われたりする。「わかってないくせに浅いこというな」みたいなね。でも我関せずみたいな。スルー能力高めな感じで。
思想とか社会とか宗教とかって、語る人間それぞれの立場も違うし、原理主義的な人はどんなに説得しても自分の立場を曲げないから、その勢いに押し流されると活動家の思い通りの餌場みたいになる。
2ch2chたらしめていたのは、そういう市井の哲学者や名無しの思想家の存在で、彼らが活動家を押さえていた部分はある。朝まで生テレビのような「大声出した人間が勝つ」的なやり方ではなく、議論の中の多様性を体現する人。AAでやんわりと揶揄して見たり、短文でぶった切ってみたり、改変コピペで笑いに転化してみたり。
2chにいる人間の年齢層って実は結構高いよなって思う時は良くある。吉本隆明に影響を受けた人間も多々いるだろう。ひょっとしたら、現代の吉本隆明のような思想家がまぎれてるかも知れない。
時にはおっぱいうpを待ちわび、時にはニュースの分析に励み、時にはやるおを使って自らの知識を市井に披露し、2chのある種の公平性を維持している存在。
数多くの広告代理店や活動家が2chをマーケットとして食い物にしようとしたが、なかなか言うことを聞かない存在ではあった。twitterfacebookも物を言うには委縮せざるを得ない環境下の中、2chの存在価値って、言論の世界でもまだある気がする。特にマルチな視点で物事を分析する際の、議論をブラッシュアップさせる場としてはとても良い。


我々は「場所がある」ことにもっと感謝をしなくてはいけないんだ。