小娘の箱庭日記(仮)さん

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ここ数日のエントリーの切れ味が良すぎてGIGAZINEまでも捕獲。
「私が最近とあるアイドル界隈を苦手な理由」
ここでももクロ周辺に漂う「アンチアイドル」的な切り口を真っ向から切る。ももクロが「アイドル」であることを見ない事にすることで、自らのプライドを守ろうとする風潮に異を唱える。勝手にももクロを「アイドルの枠を超えている」とカテゴライズすることで、自分が守られるという卑怯さは、「石川はうんこしない」と同列だということに気づくべきだ。


「アイドルが好きということ」
ここでは、アイドルを「アイドルのレベルじゃない」というような自己批判的なやり方でもてはやすことに異を唱える。「女の子たちが、一回きりの青春をささげて、アイドルという文化が成り立っていること。そんな彼女たちがアイドルとして信じているのは、何よりもファンであること。だからこそアイドルを好きになったのなら、アイドルを恥ずべきものだと思ってほしくない。」これみんなもう一度音読な。


そして最新エントリーの「AKBの功罪」は強烈なエントリーだ。

AKBのすごいところは、「女性アイドル」という本来寿命の短いコンテンツで
日本の芸能界に多大な影響を及ぼすだけの権力を築き上げたところ。


「仲間」「絆」「ガチ」という綺麗なうたい文句。
「チーム替え」「総選挙」「じゃんけん」という若者の純粋さに直接訴求するショービジネス。
「国民的アイドルAKB」に物申す隙を与えない事務所展開。
「開かれたアイドルAKB」を演出するための支配人部屋やGoogle+


そして運営がネット全盛時代のアイドルに軸として課した、
ヲタに考える暇を与えない「握手券」というアナログなシステム。


本題はそこで、もし、運営がそこまで登りつめるために
自分たちの思惑を「女性アイドル」という閉ざされたコンテンツに、
意図的に全て隠してやってきていたのだとしたら。


そして実際にAKBが大きい存在になり、同時に弊害でボロが露見し始めるであろう時、
それぞれの疑問を個々で打ち消して、障害を生み出さない図式まで考えて
「女性アイドル」というコンテンツを選んでいたとしたら。

おおおおおお怖えええええええ

AKBの最大の功罪は、アイドルヲタを形骸化させた事で、
アイドル自身の、究極の形骸化に成功した事だと思います。


アイドルファンの贖罪意識を利用して、徹底的にファンに考えさせることをやめさせ
そのファンからの「熱心な支え」で、アイドル自身に極限までの「形骸化を望ませた」。


そうしてアイドルを利用して完成した、AKB帝国という巨大ビジネス。
それにに対抗するために、
今度はももクロというアイドルが外野から「形骸化させられようとしてる」。
正統派アイドルを掲げるAKBにわかりやすくぶつけるための、
アイドルじゃないという「熱心な支え」で。

この辺りはちょっと恐ろしくなる。アイドルヲタを形骸化する上に無能化させる仕組みがAKBで、それに対するカウンター「ももクロ」は「アイドルじゃない」という切り口を使っているだけで結果的にアイドルヲタを形骸化し無能化するのみ。

ここではアイドル当人のパーソナリティーはすでに切り売りされてバラバラになり、そのアイドルは見た目と数字のみで判断される。
実像と虚像が入り混じる蜃気楼の中でアイドル当人もファンも方角を見失う。ぐるぐる回って気が付いたら一人二人といなくなって、誰も最後には残らない。捨てられたアイドルの残骸たちを前に「なんてひどいことを」と他人事のように言う人間は実はさっきまでアイドルをもてはやしていた人間で。


ともかく、今のアイドルブームが女の子の気持ちを削りながら成り立っていることは理解しておいた方がいい。必要なのは感謝の気持ちと寛容な心よ。