正しいアイドルポップスのあり方(?)

 正直最近アイドル好きの「大きなお友達」と一気に話が合わなくなってきたのです。顔に関してどうこうと言うのは完全に主観の問題でもあるので、そこに関してはどうでもいいのですが、問題は音楽を主点に話をしたときの感覚のズレ。ハロプロ関連の話をすると特に顕著です。「アイドルポップスとしては…」なんて切り出し方で話をされると失笑を通り越して落胆するまで行きますね。ましてや「昔のアイドルポップスは音楽的に豊かで…」とかいわれたら噴飯ものです。しかもそういうことを言うのが年くったおっさんとかならまだいいのですが、20代前半くらいでそういうことを言うやつとかいるとがっかりするわけです。
 アイドルポップスって言うのはまずビジュアル+キャラクター込みの「存在」があって、その世界観に幅を持たせるためのツールです。当然、100のアイドルがあれば100の切り出し方があるわけです。正解がないのが正解という日本独自の曖昧さにあふれた美しい文化であるわけです。
 しかし一度大きな人気を得たジャンルは収束していきながら成熟していくわけです。80年代後半のアイドルポップスと言うのはまさにその過程の中にあるものなわけで。松本隆だって阿久悠だって才能のある人なのですが、あの人たちを使えばOKというのはレコード会社の怠慢であり、リスク回避の成果でもあるわけです。
 つまり…話がまとまんなくなってきた…要するに、想像力を失ってジャンルの枠の中に逃げ込もうとする今のハロプロ乃至アイドルビジネスには大きな疑問と不安を抱くと同時に、魅力を失っていると言うのが結論なのですが。こういうのってどのジャンルにもあるもので、「やっぱポップと言えばビートルズ」とか「ロック聞くならストーンズ」とかいう狭い視点でしか話が出来ない人と同じ臭いがするのです。ある種教条主義的というか。
 即興をやっていたはずなのに即興にフォーマットが出来てしまった人のライブとかを見たときと同じような感想を抱いたりするわけで。もっと素直に楽しめばいいのにとか思ったりするのですが。