mf247がクローズする〜メジャーレーベルが夢見た音楽配信というビジネス

さて。mf247がひっそりと再クローズする。
http://mf247.jp/

数々の音楽配信サービスが登場した中でもmf247は異色だった。エピックソニー創始者であり、ソニー・コンピュータエンタテインメント取締役会長、ソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役社長などを歴任した大物中の大物、丸山茂雄氏が配信サイトを行うというだけで「配信からスターが登場するかも!」という期待感があった。2005年の話だ。
しかし今思えばタイミングの悪いスタートだった気もしている。その頃はまだ着メロ配信、着うた配信が絶好調で、PCでの音楽配信には懐疑的な意見も多かった。レコードメーカーは自分たちの楽曲の囲い込みをするように、自社音源を自社のサービスのみで展開するお手盛り音楽配信サービスが横行していた。ヤフーやエキサイトなどのポータルサイトが展開した音楽配信サイトは権利処理の壁に阻まれ、どこを見ても同じアイテム同じアーティストの作品が展開されていた。
求められてたのは既存ビジネスの枠を超えること。mf247は良くあるインディーのアーティストを配信するサイトでありながらも「審査制」を貫き、「本気でプロになりたい人を応援する」というコンセプトで徹底していた。あの頃はゆずやサスケのように「ストリートミュージシャンがミリオンヒットを!」みたいなストーリーも聞かれる時期だった。バクチではあったが、既存ビジネスの枠を超え、世間にサービスの存在を知らしめ、収益を安定させる手段として「PCからスターを発掘する」というコンセプトがあったのだろう。

mf247は一度クローズしている。2008年の話だ。初音ミクで盛り上がるニコ動周辺をしり目に、「使命は果たした」とコメントしていた。初音ミクや「歌ってみた」「踊ってみた」は他の配信サイトからプレイヤーを根こそぎ奪い取っていった。

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/08/01/20460.html
「最近の状況を見れば『mF247』は設立の使命は果たしたと考えていいと思います。インターネットと音楽の関係は何がベストなのかは、まだ『答』は出ていませんが、少しずつ見えてきているような気がします」

そしてクローズするかと思いきや、意外な人間がサイトを救うことになる。2ちゃんねる創始者ひろゆきヤフーオークションに出品された買収交渉権を落札し損ねるも、落札したレコード会社、クエイクとの交渉は不調のまま終わり、結果ひろゆきと丸山氏の共同経営という形で復活した。

先に話に出てきた「クエイク」。クエイクトランスなどのカバーものトランスでのし上がってきたこのレーベル、現在はポニーキャニオンの傘下となり、名前が変わって「EXIT TUNES」になった。現在ボカロ界隈では押しも押されぬビッグレーベルであり、ネット界隈のスターを多数発掘してきた。


ニコニコ動画に大きく影響を与えたひろゆき、その後のボカロブームをけん引したクエイク。この2つがこの時期にmf247に絡んでいたのは非常に興味深い。なぜクエイクとmf247は一緒にやれなかったのか。ひろゆきと丸山氏の意見の相違点とは何だったのか。
クエイクが247に提出した事業計画書がこれだ。
http://9819.jp/mF247_Succession_of_a_business_plan.pdf
あまり目新しいことは書いてないけど、クエイク側が強く押したかった部分が「審査の撤廃」だ。既に「ウッウーウマウマ」などでネットミームと音楽の関係をつかみつつあったクエイクは「まず間口を広げて糞も味噌も宝石も集める。その上でmf247の良さであるアーティストへの応援を加えていく」というプランを提示した。247はそれを拒絶した。
今考えれば、推測ではあるが「プロになる=メジャーレーベルに行く」という図式を丸山氏は捨てられなかったからなのだろう。プロフェッショナルは自力で音楽で飯を食える人間であるという理想。でもそれをかなえられるのはメジャーやレコード会社にしかないという葛藤。mf247はアーティストが自立できる環境を設定したいという理念はあったが、アーティストが本当に商売として展開できる仕組みを提供できなかった。もしくはその道筋は「メジャーレーベル」にしかなかった。

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/person/interview/051220_mf247/index2.html
レコード会社は今売れるものを作ろうとする。でも、それじゃ物足りないという人が、いつの時代にもいる。そういうクリエーターたちはインディーズに走るしかない。mF247がターゲットにするのはそういう人たち。
ただ、インディーズにもいろいろある。
日曜日ごとに友達と演奏しているだけでいい、という人もいるでしょう。ですが、mF247でターゲットにしたいのは、売れる、売れないとは別に「音楽で飯を食いたい」という人。

ニコ動、ボカロ、サウンドクラウド、バンドキャンプ。インディーズの音楽発表の場は限りなく広がった。ツイッターフェイスブックも皆活用している。ただ「マネタイズ」というのが壁であることに変わりはない。メジャーレーベルはかつて才能あるミュージシャンのパトロン的役割を果たしていた。mf247が狙っていたのはそのパトロンへの道先案内人としての役割だったのではないか。ただ、才能あるミュージシャンたちが他のサービスや遊び場で遊んでいる間に、mf247の役割は本当に終わってしまった。メジャーレーベルにはもう育成するお金がない。いまメジャーデビューを目指して、メジャーデビューしたことを喜んでくれるのはアイドルくらいだ。


自分たちが先導しようとしていたPCの音楽配信の世界。しかし音楽業界がそれを先導する事には失敗した。エニーミュージックも先月クローズした。sound.jpは数週間トップが変わらない。muzieは今どうなってる?業界のルールで作ろうとした配信の世界はとうの昔に焼け野原になり、itunesamazonが現状では利を得そうな雰囲気しかしない。


今日本で音楽関係でお金持ってる人間など誰もいない。お金は年寄りを食わすために全部消えてしまい、ミュージシャンには残らない。メジャーレーベルにはもう夢はない。
でも新しい夢はちらほら見え始めている。多分新しい夢は「音楽業界」以外からしかでてこないんだろう。そんなことをmf247のクローズで思いましたよ。

西永嶺花ことたすたすりょおたす〜♪の失踪について

アイドルの急な卒業、謎の脱退も、悲しいかな慣れ始めている昨今ですが、失踪ってな話になるとちょっと穏やかではない。

http://sukicolle.com/urls/278769
(略)
この度、弊社所属アイドル「GAL♥DOLL」のリーダー西永嶺花(たすたすりょおたす〜♪)の平成24年12月中旬からの、長期間に渡る芸能活動の休止について、ご報告させていただきます。
これまで、GAL♥DOLL ファンの皆様と関係各位の皆様には、「西永嶺花、病気療養のため欠席」というご報告をさせていただきました。しかしながら、事実といたしましては、「平成24年12月10日より、今日まで、GAL♥DOLLリーダー西永嶺花、失踪、行方不明」でございます。
(後略)

GAL♥DOLL自体は正直あまり日の当たる活動はなく、地下アイドルの一つという感じだったが、リーダーの西永嶺花はその中ではメディアに出ることの多い子ではあった。
所属していたデルタ・パートナーズはイベサー出身の社長率いるギャルモデルエージェンシーで、彼女自身もかつてはギルガメッシュナイトの後継番組でBS-JAPANで放送されていたギルガメッシュLIGHTなどにも出演し、最近だとmixiの出した謎の楽曲「みんなマイミク feat. DJみかん(7)/ゆまち&愛奈」などのVにも出演していた。

アイドル好きでもあり、いきなりバックレるような子ではなかったんだがなあ。レコーディング前日に「実家に帰ります」とLINEを送りそのまま実家にも戻らず行方不明。正直心配な話です。


アイドルが男と脱走するとか急に何もかも嫌になるとかは「まあそういうこともあるんだろうなあ」なんて思うくらいに紳士ですが、12月からかれこれ2カ月。ちょっと尋常ではないな。

正直ほじるといろんなものが出てきそうなのですが、怖いので見守るだけにしようと思ってはいるのです。もはや単純に好きな男が出来て脱走してどこかの土地で幸せになっててほしいとすら思っています。事件性がないといいのですが。

追記:さきほど本人ツイッターに書き込みがあった様子

https://t.co/krMHYO2M
@GALDOLL_ryoka
心配おかけして本当にすみません。私は応援してくださるファンの皆さんが大好きです。なのにこんな形になってしまって本当にごめんなさい

訳がわからない。本人の書きこみかどうかすらわからん。
追追記:
デルタの社長の小泉さんは元々早稲田のフリークアウトというキャンパスサミットの中枢にいたイベサーのトップで、今でも方面にいろんなつながり持ってらっしゃると思うので、早く解決していただきたい。警察には届けたのでしょうかね。

追追追記:
フリークアウトの皆さんっていい所にたくさん就職されてるんですね。ケツ餅の方とはまだつながりあるんでしょうか。
http://zipang-create.com/freakout/

暴走するストーリー、リアルとフェイク、崩壊する組織

さて。たびたびすいません。AKB峯岸の件。「なぜ彼女はこのようなことをしたのか」ということを考えるとちょっと考え込んでしまう。

AKBオフィシャルでの説明は下記のようになっている。

https://plus.google.com/103388469578205010447/posts/UZLDVYDXo98
峯岸からファンの皆様へ直接お詫びしたいという申し出があり、急遽配信の準備をしていたのですが、現場から報告が入り、峯岸本人からの「坊主頭での謝罪」を行いたいという強い意思と、そこに込められたAKB48に対する想いを感じたため予定通り配信することを決定しました。

要するに組織の為に尽くしている姿を見てほしかったのだ。落ち度に対して忠誠心をアピールしたかったと言っても良い。
彼女が考えたけじめの取り方(もしくはその組織が彼女にそうさせたけじめの在り方)は珍しいものではない。ヤクザの指詰めといっしょなんて意見もあったが、普通の会社でも今でもあるような話だ。「頭丸めて出直してきます」。極めて日本的な家族型組織のけじめの在り方だよね。個人的には「まあそういうこともあるよね」って思う。でもその懲罰って決して外向きなものではなくって、「組織内での見せしめ」的要素の方が強くって。


AKBはメンバーもファンも大きくなりすぎてた。その中でどうするかっていう一つの答えが、「ファンもメンバーもリアルとフェイクがあいまいなストーリーに放り込み、そのストーリーをベースとして統制を取る」ことだったんだろうな。総選挙もじゃんけんもそのリアルとフェイクが混然とした空間の中でこそ価値を生む。全員が役者で観客であるこの仕組みは珍しいものではない。居酒屋の店員教育とか、営業系の会社なんかだと良くあるやりかただ。暴走族なんかもそういう部分あるよね。一番理解しやすいモデルは「学校」だ。その学校内のルールが絶対であり、それ次第で中の生徒のメンタルも将来も変わる。

しかしこのやり方は問題が一つある。「内部のストーリーがエスカレートして過剰な競争原理と組み合わせると、リアルとの軋轢を生みやすい」ことだ。例えば居酒屋。過労死を生む仕組みは「強制」だけではない。店長や社員という存在を「キャラ立ち」させることによって、他の店舗などとの競争を生み、強制などというめんどくさいものをせずとも勝手に盛り上がってエスカレートして勝手にサービス残業をする仕組みこそが過労死を生む遠因となる。落ちこぼれたら不幸、乗りきったらさらにはを要求する。これは「店というステージに強制的に役をつけて上げて、競争社会に放り込む」というパッと見問題のなさそうなシステム。少なくとも会社側は何一つ痛くない。でもこれは競争が暴走につながり死に至ることもあるのだ。

AKBは仮にそこまで行ってないとしても、暴走の結果、リアルとの距離を大幅に見誤った「組織の中だけでのリアル」に変化してしまったのだろう。ファンはストーリーに乗っかってるからそのおかしさに気づかない。メンバーも気づかない。運営すら気づいてないのかもしれない。結果、周辺から見たら歪でしかない仕組みになっている。これはアイドル全体に言えるしAKBに限った事ではないが。


海外でもAKBの件が話題になっている。明らかに良くない意味で。倫理的な問題ってのは各国の文化的土壌によって差異はあったとしても、虐待的な取り扱われ方をしている部分もある。

AKB48のメンバーが「頭を丸坊主にして謝罪した」件(と柔道関連)、英語報道&それへの反応
http://matome.naver.jp/odai/2135973732388248301

海外の意見をそのままに受け取るつもりもないし、基本ゴシップ好きの人が盛り上がってる(そして引いてる)のだろうが、「理解できない」という反応が多い。そしてここでいう理解できないものとは、組織としてのAKBのことだ。


本来ブラックボックスで、周囲からその異常さを指摘されることは少ないはずだった。ただ今回に関しては運営が「youtubeで公開したこと」が図らずも異常性を明るみにする結果になった。ファン及びメンバーの倫理観のズレが明るみに出る結果になった。

インターネットの存在、SNSなどのソーシャルの存在は、組織統制にとっては大きな邪魔ものになり得る。統制の利かない個人的発信が既存コミュニティを壊す契機になる。これはいい意味でも悪い意味でもだ。「既存の社会とWEBを中心とした個人発信主義」の相性は最悪だ。おそらく当分は既存コミュニティ社会とWEBとの軋轢は止まらないのだろう。そしていろんなズレや違和感があちらこちらに散乱する。その先にどのような人間関係やコミュニティが存在するのか、それは壊れていくコミュニティを見つめながら新たに組み立てなければならない。
親学に見られるような回顧主義も、ゆとり教育的な過剰平等主義も、モンスターペアレントのような超個人主義も、過渡期の産物なのかもしれない。組織がリアルとフェイクで踊り続けようとするのをWEBの対全世界、対個人への発信がぶち壊していく。壊れた世の中も、また現実。そしてその世界を見つめながら、やはり生身の人間は現実に振り回される。そこだけは変わらないのだ。

小林よしのりはこのまま朽ちていけばいいと思う

小林よしのりのこのエントリー見て戦慄が走った。

AKB48 峯岸みなみ丸坊主について
https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=joalma0am-13#_13

このおっさんは一行目から批判軸を「良識派」とカテゴライズし、運営の判断を全肯定する。ストーリーをただ受け入れるだけの無自覚さ。そこに意志はない。カッコウの雛と同様だ。

かつて公と私などと論説をぶったこのおっさんが、まるで誰にも理解されないAKBの内部ルールのみをみて今回の件を全肯定してるのが最悪だ。でもこのおっさんはこのまま世間と乖離していけばいい。結局、公がどうのとか言ったところで本当に公を見てたんではなく、その組織の物語性にしか興味がないことは良くわかったから。

今回の件を「峯岸個人が自分の意思でやったことだから問題ない」という人間は彼女の恋愛も認めろ。「AKBのルールに沿ったことだから仕方がない」という人間はそのルールが明らかに大多数が受け入れられないものであることに気づけ。そしてどんな目的が裏に潜んでようが、こんなひどいものがエンタメの皮をかぶって大々的に公開されているこの世の中の異常性に疑問をいだけ。物語性とかストーリーとかで何から何まで解決しようとするな。

ヤンキー≒ウェイウェイ系≒ピンチケ≒DQN

最近知り合いに生主がいることが判明し、ニコ生含めてニコ動を改めて見ている。個人的な疑問としては「なぜそこまでして晒したがるのか」であるわけだ。でもまあ見てると非常に「これは晒す気持ちもわからんでもない」みたいな気持ちも出てくる。ああいう風に盛り上げてくれれば楽しいわ。うっかり盛り上がっちゃって乳晒す子がいるのもわからんでもない。生主の行動がエスカレートするのも納得だ。

ニコ生は生主対リスナーではなく、生主対見ている人間の集合体である。ラジオとは訳が違う。はがき職人のような存在は生まれえない構造になっている。集団で持ち上げて、集団でちやほやし、集団で落とす。その集団の人間は誰ひとり実際にあった事がなくても、昔からの知り合いのように振る舞う。その場のマナーに沿って。これはいわゆるリアル社会で言う所の「ウェイウェイ系」の生態と酷似してる。
ウェイウェイ系ってなんじゃって言われると確固とした定義はまだ出来上がってないのだが、下記のまとめあたりを見ていただけると大体のイメージがつかめることかと思う。

戦慄!ウェイウェイ族との遭遇
http://togetter.com/li/327961

「場を盛り上げるためにウェーイというのではなく、最初からウェーイで場を乗り切っていく集団維持型コミュニケーションを行う人種」のことを指していると見て間違いないだろう。

ここで過去にあったドワンゴ川上会長の記事を再度紹介したい。

「ネットはリアルにどんどん浸食されている」――ニコ動6周年 川上会長に聞く、リアルに投資する理由 (1/4)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1212/20/news033.html

「ニコ動はオタクが作ってヤンキーが見ている」というのが非常に興味深い分析。ただ、「ヤンキー」という言葉の定義が非常に難しい。川上会長も「ヤンキー」という言葉を使ってはいるが、この場合もはや「ヤンキー」という言葉はもはや古く不完全なものになってしまっている気がする。
かつてのヤンキーの定義の中にあったいわゆる「族文化」は、言葉の通り「家族文化」に近いものがあって、組織としての維持を目的としたコミュニケーション文化であると思う。そこには親と子に近い厳然とした上下関係が存在し、それをひっくり返すというのは難しい。ヤンキーの乗りには確かに「アゲアゲでイケイケ」的なものがあったのはわかるが、しかしその上下関係性をそもそも否定し「ウェーイ」で乗り切る文化は否定されてきた。
ネットの存在はその上下関係を見えなくした。ヤンキーはもはや過去種なのだ。上下関係を否定し見えなくした上で集団維持型のコミュニケーションを行う人種が主流になってきた。そういう人種を「DQN」と呼ぶ風潮もあるが、この定義も不完全だ。「DQN=バカ」みたいな定義がある以上「オタク=気持ち悪い」と同様の不完全な定義でしかない。

先のニコ動の中で存在している「ヤンキーVSオタク」みたいな定義と同様のことがアイドル現場でも起きている。この場合の「ヤンキー」と呼ばれる定義に相当するのが「ピンチケ」なのだろう。接触と盛り上がりを主体としたコミュニケーション中心型の人種。
DQN≒ヤンキー≒ピンチケ≒ウェイウェイ系。この完全イコールではない流れはアイドルビジネスもネットビジネスも既存コミュニティの在り方も変える大きな存在なのだが、これには実体がなく定義がつけづらい。しかし世の中でも大きな勢力はここにいるのではないのかなあという気がしてならない。

アイドルビジネスの頂点がこれとかふざけるな

峯岸みなみが自らのスキャンダルの責任を取った形で自らの頭を丸めた動画が公開された。

なあ、女の子が自分の頭を丸めてまで責任を取ってるのは何に対してだ?誰に対してだ?ふざけるな。
俺はかわいい女の子がかわいくあるのが好きでドルヲタやってんだ。その中でがんばったり泣いたりあるかもしれねえさ。でもこんなのは望んでない。こんなのを喜べない。むしろこんなのが出てきたことを憎んですらいる。

こんなのがアイドルビジネスの頂点なのか?女の子の青春を切り売りして、自分の責任という体で髪の毛刈って、「これもドラマの一つです」とかのほほんと評論家面か?ふざけるなバカ野郎。

今回ばかりはアイドルビジネス滅べって思ってる。これが受け入れられるのならば、逆にドルヲタ界に俺の居場所はない。

アイドルがかわいく見えるMVとは

2chにMVスレあったんでそこから抜粋+個人的な印象コメです。
やっぱ表情だと思うんです。基本は。
これはperfumeですが低予算って意味では相当低予算だと思う。ただカット割りがキッチリ出来てるのとおなかいっぱい表情見せてくれるんで結構満足する部分も。ハロのMVも実はclose-up ver.の方が好みの方とかもいらっしゃるんじゃないでしょうか。

ただ大人数ユニットともなるとなかなかそうもいかない部分も。であれば自然な姿を見せるというのも手なのでしょう。これはさくら学院です。曲タイトルの「Friends」というコンセプトが良く見えるいいビデオかと。最後のサプライズメッセージを読んでる/聞いてる表情などはほんとに自然で良い。

低予算中の低予算、BiSのnerveを忘れてました。客にiPhoneでとらせた映像の編集でできたというMV。正直「安すぎる」とは思うのですが、途中の編集部分には一瞬「お」と思う部分もあります。ライブとかだと逆にいいかもね。

逆にiPhone自撮りだけで構成したのはでんぱ組inc.。「アイドルは、自分自身で撮影した写メが一番可愛いのではないか?」というコンセプトのもと作られてるというが、まあ、低予算だし、すっぴんこええなとか思うけど、素の表情が見られるってのはちょっと嬉しいものです。

ロコドルとかも金ないから必死でアイディア考えてます。最近ちょっと話題のとちおとめ25のこのMVは良かった。スタジオでのホワイトバックなだけのVかと思ったら途中からバラエティ仕立ての2段構成。

こちらはnegicco.ですが、上下で2段にポップな画面構成にすることで低予算且つポップさと表情のバリエーションを見せたもの。

初期ベリ工のMVはけっこう好きなものが多いんですが、女子流のこのVにも同じような印象を受けました。かわいい。




低予算なら低予算なりに考えるといいと思うのです。
最後にアイドルではないですがこのV貼っときます。日常生活の光景とカット割りと演者の表情だけでもグッとくるものはある。