爆乳音頭がいかにレベルミュージックであるかを真剣に考えてみよう

さて皆様お疲れ様。死んでいるように生きている、いや、生きているように死んでいるのか。そんな毎日です。

今日はこれを見ていただきたくエントリーした次第です。

[http://www.uta-net.com/user/phplib/view_5.php?ID=85650:歌詞はこちら。

いやね、もう救われたわけですよ。
よくよく考えるとすごい曲なんです。これ。ここから長くなるけどいいですか。
そもそも音頭という物がどのように生まれたかということは正直よくわかりませんが、コール・アンド・レスポンスの音楽として生まれ伝承されてきたことは間違いないと思うのです。日本中のゲットーでのハウスパーティー(村祭りであったり寄り合いであったり)で生まれた物です。当然その題材となる物はその場所にいる人間たち共通に愛着があるもの、もしくは共感しうる物であるわけで、最初は住んでいる土地などが題材であったでしょう。秩父音頭とか河内音頭とか花笠音頭とかですね。

そしてレコードが生まれ、音楽も流通される商品となってくると、細分化の道をたどってゆく。電線音頭やら東村山音頭などは、テレビというメディアを媒体とした共通概念が日本全国に伝播してゆく過程で生まれたダンスミュージックなわけです。音頭というものの音楽的な共通点はもはやないも同然です。しかし唯一残っているDNAは「コール・アンド・レスポンス」です。手拍子の入れられない温度はなく、合いの手が入らない音頭などただのユーロビートです。

さて、しかしここ最近どうでしょう。皆が共通で手拍子を入れられるもの、合いの手を入れられる音楽などあったでしょうか。「儀式」としてとか「礼儀」としてではなく、心の底からコールが出来る音楽があったでしょうか。コールとともに己の心が高揚してゆくそんなダンスミュージックがあったでしょうか。
そこで、「爆乳音頭」なわけです。
もうここで歌詞を書くような野暮なことはしません。もう一度リンク張るぞ。

[http://www.uta-net.com/user/phplib/view_5.php?ID=85650:歌詞はこちら。

でかいくてやばいもので夢いっぱいで世界を救うものなのですよ。
日本を救い、世界を救い、宇宙を救うものなのですよ。

安っぽいとか、かっこ悪いとか、そんなことを考える前に、音頭とは「共通認識を高めるダンスミュージック」だともう一度考えてほしいのです。この詩に共感できない男はいるのでしょうか。デカイおっぱいがやばいということに共感を得られないことがあるのでしょうか。そこの貧乳好きちょっと黙ってろ、話はまだ終わってない。偽乳だとか趣向の違いの話じゃないんだ、これは。

もっと根源的に「おっぱいがすきです」というのを考えるべきなんだ。我々は。これはアフリカ・バンバータにおける「Unity」なのだ。頽廃した社会に対するレベルミュージックなんだよ。これは。
きっとポニーキャニオンはそこまで考えてこのシングルをリリースしたに違いない。

ユニット名の「爆乳三国志」という仕掛けもすばらしい。きっと、いずれ内乱が起きるのだ。魏、蜀、呉の爆乳たちの中で血で血を洗う内乱が展開されるのだ。きっと貧乳の匈奴とかが攻めて来るんだよ。驚くほど爆乳の呂布とか、卑怯なまでな偽乳の董卓とか出て来るんだよ。この先は。以外に徐盛くらいがいいサイズの乳かも知らん。そして最後は皆滅びる。その時誰もが気づくんだ。「ああ、これも歴史の一コマなのだ」と。おっぱいに貴賎なし。結局何が残った?おっぱいが残った。人間が残るのだ。
戦いは不毛ではあるが、避けられない。しかし、人がいる限り、思いは続いてゆく。おっぱいは永遠だ。我々がそれを望む限り。


追伸:本当はB面の「爆乳マンイーター」に関してもいろいろ言いたかったところだ。「爆乳Between the sheets」「爆乳Light My Fire」とかいろいろ続編を出してほしいところだ。音楽が真の意味でジャンルレスになる日も近い。