マス対俺ではない誰か専用コア

 マツケンサンバ、売れてますねえ。ただのモンドで終わるかと思ったら思った以上の盛り上がりです。この理由をつらつらと考えていたのですが、個人的には単純な答えでまとまりました。
「不特定多数へのエンターテインメントを成立させている唯一の曲だから」
でしょう。恐らく。
 ここ最近ではぎりぎりで氣志團がその位置にいた気もしますが、マニアック戦略が過ぎたのでしょうか、かなりの人を振り落としてしまった感もあります。
知識に頼るマニアックは捨てられる時はあっさりです。ついていけなくなった時追いかけていく気がおこらなくなるんでしょうね。自分もそうだし。
 いや、違うな、ついていけなくはないけど、そこについていく気がおこらないというのが正直なとこです。何度も書いた気がしますが「俺これ知ってるよ」「へえ、俺はこれ知ってるよ」「俺はもっとマニアックなの知ってるよ」という会話は不毛以外の何物でもありませんって。
 で、マツケンサンバです。「将軍様がサンバで舞い踊る」というネタ感もさることながら、ゴージャスさが最大の魅力です。現存する最後の秘境、コマ劇イズムです。一部のチョンマゲオンステージから歌謡ショーへ流れる大雑把な展開、しかしそれは長年の経験と来る客層の見たいものまでをひっくるんだ壮大なエンタメショーがコマ劇でありマツケンサンバです。お得感は半端ないですよ。おなかいっぱいだし。


 そう、お得感というのは結構重要なキーワードであると思います。マニアック戦略というのも実はお得感を出すためにはいい戦略方法ではあるのですが(例えばサンボマスターとタモさんとの会話のような。菊地成孔も多少その傾向ありか。くるりのロック知識自慢もそのラインかと)、興味がなければ入る気にもならないというリスクを負うと同時に、更なるマニアックを用意していかないと「頭がいい、センスある」と見てもらえないというのが大きいのでしょうなぁ。
 言うなれば、無駄に素材自慢が延々と壁に貼ってあったり、レイアウトにこったりしてるラーメン屋のような。あれはあれでお得感があるのですが(へえ、俺こんないいもの食ってるんだ、みたいな脳内充足感)。

 話を戻しましょ。「不特定多数に対してのエンターテインメント」の話です。エンターテインメントの細分化はかなりの勢いで進んでいるのだろうなと推測されるわけです。音楽、アニメ、ゲーム・・・何もかもが「特定のコア層」を逃さずにマスへアプローチしていくという戦略で動いていると推測されるわけです。


もう限界なんじゃないかと。


マスへのアプローチとコアへのアプローチを平行させるというのは理想的な戦略方法に見えます。コアから出てきた人をマスへ押し上げるというのも今までの方法論ならありでした。
今のままではコアはどこまで行ってもコアになりえないし、マスは中途半端なマニアックさを抱えていくしかない。


っていうかね、もうね、自分飽きちゃいそうなんです。音楽とかに。


実は俺が限界なんじゃないかと。