モバゲーベイスターズ

年がばれる話だが、初めて見た野球は「大洋ホエールズ阪神タイガース」だった(はずだ)。大洋側のスタンドで訳もわからず応援していたが、その日は大洋がポンセのホームランなどの活躍で勝ち、勝利をおさめた。それ以来大洋ホエールズのファンになった。まだ屋鋪や高木豊や高橋眞が現役だった。ギリギリ遠藤がまだいたはずだ。
しかしその後、大洋ファンとしては本当に不遇な時期を過ごした。それは横浜ベイスターズになっても変わらなかった。ヤクルトファンと傷をなめ合ってるつもりだったのだが、野村監督時代に一気にやつらは「え、昔から強い球団でしたけど」みたいな顔しやがって「横浜銀行にはお世話になってます」とかぬかしていた。
だから1996年位から大矢政権で横浜が何となく強くなり始めた時も、まさに不動の猜疑心で「俺の横浜がそんなに強いわけがない」と思い続けていた。いや、まさに96年はその通りの結果になってしまったわけだけど。
でも権藤政権での97〜98年。自分は想像もしてなかった「優勝+日本一」を見てしまうことになる。「横浜って強くてカッコイイよね!」というにわかに舌打ちしながら「へへ…ありがとう」なんてはにかむ俺。正直気持ち悪い光景だったと思うが、悪い気分ではなかった。だらしのない横浜(大洋)を「そんな大洋が好きなんだよなあ」なんて思ってたマイナー根性は押し流されてしまった。
それからまた横浜はいつもの横浜に戻っていた。得点圏で打てないバッター。「間が悪い」としか言いようのない先発陣を見ながら「いつもの横浜だ」って思ってた。


でもなあ、それでも好きだったんだよ。これだけ弱小で、これだけフロントに振り回されて主力を放出し、これだけ離脱した選手から愛されていない球団はなかなかない。でも横浜スタジアムでやってる横浜が好きだったんだよなあ。確かに文句ばっか言ってたけどさ。
ハマスタは球場使用料の高さやいろいろ問題山積みで、いつも身売りの噂が絶えなかった球場だけどさ、関内からハマスタ行くのってワクワクしたぜぇ。なんか他の球場にはない、高揚感があったんだ。横浜の街並みと相まって。試合の後は文句言いながら海の方に歩いていく。金がない時は山下公園まで行く。そこでまた文句を言う。そう、大洋の時からそうなんだけど、横浜のイメージって「海」なのよ。いろんな事があるしいいことばかりではないけど、海のようなおおらかさをもって応援してたんだよなあ。


それが「モバゲー」かあ。


もうもはや何でもいいけど、横浜から「横浜」と「海」の要素が無くなったらファンやめる。