ミニマルな日常とアンビエントな日常と。
「平穏な毎日」と「繰り返される毎日」はほぼ同一の状況にある。ただ、底にある意識の持ち方には深くて長い溝がある。
「平穏な毎日」はリラックスした状況にある。日々の自分の生活が問題なく自己のコントロール下にある状況だ。包丁の音、通りを歩く人の話し声、キーボードのタイプ音・・・あらゆる音は自己の生活のBGMとなり、自分の生活を彩るものとなる。
対して「繰り返される毎日」。こっちは同じ状況下にあっても、あらゆる音や環境は自己のストレスと直結しようとする。様々な状況や環境が自己の生活を変拍子のように切り刻んでゆく。
その変拍子な生活を一つの音楽(言うなれば「まあ、それも人生だよね」って言う感じ)に感じられればいいのだが、大概の人はやはりそうは思えない。そしてさらに苦痛なのは「ミニマルな日常」だ。
微妙な差異を生みながらひたすら繰り返される日常。この日常に意味を見いだせない状況下では「ミニマル」はイコール「苦痛」になる。関係ないが、昔長渕ファンに2時間ライヒを聴かせ続けたら泣き出したことがある。拷問と勘違いしたらしい。