今のK-POPに足りないもの

K-POPにはあまり詳しくない自分だが、それでもタレントの鍛えられ具合は少なくとも小粒化していくJ-POPと比べたらがんばってるよなあって思う。最近のKARAとかは明らかに日本で受けることを考えて面白くなくなってきているが、それでもやはりレベル高いなあって思う。インドネシアやタイなんかでも人気があるというのには大きく納得。今のK-POPは「憧れ」を体現している。自らが憧れられる存在であると同時に、アジア人の対欧米に対する憧れも同時に体現している。「おらが町のスターも本場に負けねえだ!」って感じだ。もちろんいい意味で言っている。日本が「アジアと日本は違うから」なんて態度で好事家にしか受けないサウンドばかりになっていく中、逆に清々しい。

でもこれって「代用品」の良さであって。ご当地アイドルが受けるのは、東京発信の大アイドルがいる中「地元で質は落ちるけど身近で頑張ってる」という距離を利用した差別化の産物でもあって。K-POPは現状その域を抜け出せていないように思う。まあ、それが悪いというわけではもちろんないんだけど。


個人的には韓国には完成されたものなんかより「熱狂」enthusiasmを追及してほしい。今の日本でK-POPが「あんなの電通の策略だよ」なんて陰口をたたかれるのには、(サクラかもしれない)ファンの熱狂度とサウンドの温度差も大きく影響しているように思う。「いや、悪くはないけど、そんな大騒ぎするほどいいか?」ってのが正直なところなんじゃないんだろうか。ファンの熱にサウンドがついて行っていない。非常に残念だ。


韓国という国の良さはやはり過剰さにあり、その過剰さゆえにうっかり超えてしまうラインみたいなものがあって、それが逆に日本や欧米でも想像できない全く新しいものとして生まれてくることがある。「感情」をベースにして行動する民族性ならではの熱狂がある。
韓国ポップスの父と言われるShin Joong Hyunなどの過去音源などを聞いてもそれは顕著だ。演歌の情緒性とねっとりとした感情を表現する上で、体裁の良い曲構成なんかよりも同じくらい雄弁なギターが必要なのだ。絶叫したり号泣したり。結果とんでもない演歌サイケデリックが出来上がる。



この熱狂はなかなか得られないものだよ。まだクラブ文化が熱狂とともにあったころ、その熱狂を求め多くの人間が夜な夜なクラブに繰り出していった。その熱狂が忘れられずに薬に頼るやつもいた。「細かいことはどうでもいいから楽しもう!」という空気のもと、つらい仕事を一時でも吹っ切るように熱狂を求めた。


韓国は基本的に常時「熱狂」している。国自体がレイブ。レイブにそのあと起こった諸問題も、すべてしらふで体現している。「細かいことは良いんだよ=ケンチャナヨ」で進む国。その熱狂から生まれる文化ってやはり知りたいしすごく興味がある。


ということをイ・パクサの最新映像を見ていて思いました。ここでの見どころはやはり客!フロアで踊るおばちゃん、執拗にステージ上の兄ちゃんのズボンを脱がそうとしているおばちゃん、最後に半裸になりかけてるおばちゃん、曲が進むごとに熱狂の具合が増してく。イ・パクサの煽りも熟練の域。低音がどうとかスピーカーがどうとかの問題じゃない。そこの熱量の問題だ。この熱量を吐き出せる国ってなかなかない。

個人的にはイビザのように囲い込んでおくといいんじゃないかなって思う。