なぜ音を埋めるのか?

昨日ひさびさに暴走するバイクを見た。二人乗りでマフラーはまっすぐ。そんなにとんでもないスピードを出すわけではなく、エンジンの空ぶかしを繰り返しながら走っていった。あれ、うるさいよな。でも乗ってる本人たちはすっごい楽しいんだよな。エンジンチューンに気を使って音を調節してみたりして。すさまじい爆音に身をゆだねるのがいい。エンジントーンで世界を埋め尽くすような感じ、なんて。
そんなことを考えてたら、ほかにもそういうのってたくさんあるなって思った。たとえば野球場。野球場って基本的にやかましい。昔、東京ドームの巨人−横浜戦で「球音を楽しむ日」と称して、鳴り物(ラッパとか太鼓とか)禁止の試合が行われたことがあった。メディアの反応は上々。この試みを喜ぶ意見も少なからずあった。しかし、現在は普通に鳴り物が復活してる。要するに、主流派にはなりえなかった(ちなみに個人的に最も音響がいいなと思ったのは千葉マリンスタジアム。浜風対策だろうが壁が高く、内野スタンド側からは球音が楽しめる。ちなみに外野席は12球団一の熱量を誇るマリーンズ応援団による大モッシュ大会。これはこれで楽しい)。
パチンコ屋なんてその最たるものだ。大爆音のユーロやトランスをバックに電子音だらけの中でじっと台の前に座ってるんだ。すごい環境だよ。隣の音や後ろの台の音などと混じってすさまじいエクスペリメンタルが日常的に展開されてる状態。そういえば昔ノイズ好きの友達に「すごいノイズスポットを発見したんだ!気に入るからこいよ!」なんて言われてついてったら、新宿南口のパチスロ店に連れてかれた。確かにすごかった。すでにコーンが破壊され尽くしたバリバリのスピーカーから「122番台ビッグボーナススタートおめでとうございます!」といってるように聞こえないこともない、高速ラップデスメタルのような声と、歪みきって原型をとどめていないユーロビート、台から出る電子音+コインの金属音が混じる最高で最低な音の塊がビルを埋め尽くしてた。
こんなことを考えてて思ったのが、日本のヒットチャートに入る音楽は基本的に「間」を楽しむようには作られていないような気がする、ということだ。むしろ意図的に排除してるんじゃないかと思うほど、隙間が詰まってる。イコライザーの全帯域に音がびっしりって感じだ。トランスとかユーロとかもそういう音楽だよな。低音と高音のところに情報量がびっちり。しかも延々と。でも考えてみるに、そういうのが好きな人種なのかも知れない。家をでかくできないから隙間家具をそろえるがごとく、箱庭のように細部を埋めるような曲構築がDNAに刻まれてるのかもしれないとも思う。そう考えるといろんな物に説明がつく気もする。日本の音楽はブラスセクション好き。日本のノイズミュージックは世界的に評価が高い(また、ハプニング、エクスペリメンタルといったものより純粋な「ノイズ」にアプローチするアーティストが多いのも特徴かもしれない。ハーシュノイズやヒスノイズ、代表格はメルツバウか?)。日本のヒップホップはごてごてしたものが多い。日本のロック(特にメタル)において「キメ」とか「タメ」といったキーワードはあまり重要ではない…とか。でもまあ、それでいいとも思う。そういう風土なんだから。ただ、ムダに音を埋めた密度の濃い音楽は聴いてて疲れるのも事実なのだが。