ECDが「ユースカルチャーにしがみついてる」とかありえないだろ

ECDの「Don't Worry Be Daddy」のレビューなんですが、個人的にこりゃないわって思ったんで。
http://www.dommune.com/ele-king/review/album/002249/
個人的には全体的に「いけすかない」文章ではある。自己陶酔的なのだ。ECDの周辺環境に理解を示しているようなフリをして、全部自分の言いたい結論に無理やり結びつけようとする。ECDのことはどうでもよくって、自分の言いたいことだけを言いたい文章だ。特にこのあたり。

 そう、ECDはライフ・スタイル誌のいう「美しい歳の取り方」とは遠く離れた場所で逃げ場もなく歳を取り、ユース・カルチャーの世界にとどまるべく懸命にしがみついている。

ECDが「しがみついてる」と見えるのであれば、それはあなたの感性が現実とはかけ離れてしまったってことですよ。
サウンド自体が古臭いものに聞こえるようなら、感覚がずれてるとしか言いようがないし、SEEDAやS.L.A.C.K.を引き合いに出しながらECDのラップを「ダサいと言われかねない」と言い切るその感性にも驚きだ。


このレビューを書いた彼は多分「働けECD」に出てくる「石田さん」に哀れみの目を向けているだけなのだ。ホームレスに向かって「かわいそうだよな、政治がよくないよな」とか言ってる傍観者の視点で。

いわばオルタナティヴな特殊労働者、その生き様、破れかかった傷物の履歴書そのものだ。

この辺とか正直怒りすら湧いてくる。ECDの生き様をなんだと思ってるんだ。ブログのことは今回の主題ではない。こいつはブログでのECDを適当なステレオタイプ化した「夢破れたおじさん」に押しこんで可哀想ぶってるだけじゃないか。
というか、ヒップホップの連中はどんなやつでも一生懸命自分の生き様を言葉に託して、作品にぶつけている。たとえそれが稚拙であろうが悲惨であろうが夢物語であろうが、それ自体がヒップホップなんだ。まあ表現や作り込みの稚拙さとかはあるさ。才能と努力がモノを言う世界だしな。でも都市生活者であろうが、田舎であろうが、そこで暮らす現実や、貧乏や不条理などの現実があり、それに対して「どうでもいいよ」と思う感性もあれば「俺がいつかトップに立ってやる」っていう感覚だってある。それらを全部ひっくるめてそいつらなりにトラックとリリックに叩き込むのがヒップホップだと思ってる。ヒップホップが表現するのは人間なんだ。ファッションでもイメージでもない。ロックとかと一番違うのはそこだ。
ECDという人間への理解が明らかに少ないのが見え隠れするのと、それに対して語る言葉の薄っぺらさ(難解な言い回しで煙に巻いて内容がない感じな)が腹が立つ原因だな。また、ECDという人間に対しての「リスペクト」が明らかになさそうなところ。一人の人間が生き様を全面的にぶつけてきた作品を前に斜に構えた対応をするな。人が真面目に話をしている時はちゃんと目を見て話を聞け。相手の言葉を理解する努力をしろ。

ライターと風俗嬢って基本的に似てる気がする

本題の前にちょっとだけ昔話+自分話。


このブログ自体が自分自身のマスターベーション+リハビリに近いので、このブログの文章が果たしてどこまで「外向き」の文章かというのには悩むとこだ。ただ、個人的に「後で自分が読み返す」のを目的のひとつにしているため、文章の内容は結構気を使っている(つもり)。推敲の仕方は単純で「自分の頭の中で音読する」だ。読んで声に出さないといけない(音は出さずに!)。ちゃんとしゃべってて違和感のない内容になっているか。これが自分の中では一番重要なポイントだ。
facebooktwitterを全力でライフログとして使うほど今の自分自身に自信がないため、自分は後から読み返せるブログぐらいがちょうどいいと思っているのだが、それでも公開する文章ってのは気をつかう。未来の自分が恥ずかしがらないように今の自分がチェックをする、みたいな感じか。そうはいっても後で読み返すときゃーって思う内容多いんだけど。でもよっぽどのことがなきゃ消さない。それも含めて自分の「ログ」だと思ってる。


これは過去に文章の仕事をちょっとだけかじってたときもそうだった。テクニックや語彙の稚拙さをフォローするために「自分が語れる」内容まで文章を落ち着かせること。これが一番大事な作業だった。実際そのほうが伝わりやすい気がして。自分が語ろうと思ったら、それなりに知識や見解を出せるレベルまで考えないと文章は書けない。自分が文章の仕事を辞めたのもそれだった。量産できないんだ。このやり方。

文章を仕事にするというのは想像以上にハードだった。しかも自分が好きなものに好きと言い続けるのを仕事にするには。その時思ってたのは、ライターと風俗嬢って似てるんじゃないかって。売文と売春って似てるんじゃないかなあって。
みんな文章はかけるんですよ。人に見せなきゃ。ただ、人に見せるとなった時に「自意識」が邪魔をしてくる。ライターなんてその中でも「文章でお金を稼ごう」と思ってるタイプだから、相当自意識過剰だ。文章もお化粧たっぷりだ。そしてお仕事として受ける仕事は自分の好みの仕事であるとは限らない。そうなると自意識とお化粧はそのままで、心を殺してテクニックで文章を埋めるようになる。その心の転落っぷりはダメな風俗嬢にそっくりなんだ。
ちなみにここでいうダメな風俗嬢って「どんな安い仕事でもうける」とかじゃないよ。ああいう人はああいう人なりに理由やポリシーや覚悟があったりする。「そういった仕事についていながら相手のことを馬鹿にする」奴が一番ダメな風俗嬢だよ。もしくは「相手のことが見えてない」かな。キャバクラで自分のことだけひたすらしゃべられ続けて時間になったらドン引きでしょう。
ライターってそういうことを一番気にするべきだと思うし、人に文章を見せるということがサービス業であることを理解しなければいけないんじゃないかなあ。テクニックを磨くだけじゃなくって、そこに必要なのは姿勢だと思うのよねえ。こんな時代だから、昔みたいな「文章のプロフェッショナル」は求められてない気もする。ブログでもなんでも、文章力の高い人間はいくらでもいる。ただ、姿勢がちゃんと読み手に向いてるかって言う視点で見ると、そういう書き手は少ない。気がする。


「文章書きは芸人」なんて言葉があった気がするが、あれ嘘だよ。芸人なんて華々しいものではないよ。文章書きは生身の自分をジロジロ見られる風俗嬢だよ。文章を書くってのはそれぐらいの意味合いがあることなんだと思うのよねえ。