人は常に何かが足りないと思って生きている

さて。何が足りないと言って更新が足りてないブログを更新します。

もう40にもなると、人生経験の中に「人の死」というのが何回か登場したりニアミスしたりするわけです。天寿を全うする人、若くしてこの世を去らざるを得なかった人々、そして自ら死を選ぶ人もいました。
その中でも「自ら死を選ぶ人」が、残された我々に残してくメッセージというのはなかなかに強烈です。その「死」自体が現在生きている我々の世界の常識や概念を揺るがすだけの力を持っている。「俺は死ぬほど苦しかったし死んだ方がいいと思ったんだけど、お前はどう?」って言われてるようで。心の平安や平衡を失ってしまい最終的に破たんしてしまった彼らの本当の気持ちは、実の知り合いや友人で会った自分でも、今となっては正直わかりません。


人はみんな多かれ少なかれ心の平衡を失う時があるのだと思います。大事な人がいなくなったり、自分の居場所がなくなったと思ったり、この年になってくると自分自身の変容や変質(まあそれを老いと呼ぶのかもしれないのですが)も原因として出てくるのでしょう。でも突き詰めて考えていくと「喪失感」こそが心の平衡を崩す一番の要因なのではと思うのです。

この喪失感というのはいろんな側面で出てきます。社会生活を過ごしていればさらに顕著に現れます。若年期であれば「自分は強いと思っていたが近所のガキ大将に負けて自分は強くないことが分かった」とか「自分は美人だと思っていたけどそうではなかった」とか。さらに年をとればとっただけ問題は出てきます。「自分はこうだと思ってたけど、実際は違った」「自分がこうだと信じてたものはそもそもなかった」なんて話は山ほどあるわけです。

では人は喪失感をどうやって乗り越えるのか。これは正直な話だましだましやってくしかないというのが正直なところです。どんなに望んでも手に入れられないものはあります。その大小さまざまなギャップに人は悩み続けます。結局の話人は常に「脳で認識している自分」と「実像の自分」のギャップに悩み続けます。誰もがそのギャップや「自分自身が足りないと感じている」喪失感と常に隣り合わせです。そしてその喪失感をずっと受忍していくと、自分の世界が破たんするということなのだろうなと自分は思います。


自分も当然そういう感情はありますし、自分はその喪失感や足りないものから生まれる感情を音楽で補完してる部分があるのです。怒りや悲しみ、寂寥感であったり猥雑さ、煌びやかさや夢、いろんな足りないものや足りない感情を音楽に依存して生活しています。


この足りないものへの埋め方も人それぞれです。足りないものを埋めるために人を足蹴にする人もいれば、人を悪しざまに言う人や他人に当たる人もいる。社会に依存してみたり、自分の子供に依存してみたりとかもある。

結局みんな足りないものは様々で、それを理解しようと思っても理解はできないし、自分自身もそういう表象に見える世界を見ながら「納得いかねえなあ」とか思った後にその「納得いかねえなあ」を解消してくれるような音楽を聞いたりして日々を過ごすわけで。きっとこのまま何もわからぬまま人生も終わるのでしょうけど、わからないまま生きるという喪失感を解消するためにグダグダ今日も考え続けるのです。

人はなぜ生きるのか

さて。すごいタイトルつけちゃいましたけど、タイトル通りの話です。
正直「今のところこう考えてる」ってだけで、現時点でのメモのようなエントリなんですいません。


先日ふとしたタイミングで「人はなぜ生きるの?なんのために生きてるの?」っていう重量級の質問をカジュアルに受け取る機会がありまして、これに対する答えを即用意する必要があったわけです。困ったら即googleに聞くチート系の私としましては当然「人 なぜ生きる」とかで検索してみたわけです。しかしまあ、なんというか、これという答えが見つからぬわけです。


トップに出てきたのはこれでした。

私達が求めるべきものは真実です。すなわち、「本当の自分を知ること」です。これ以外人生の目的はありません。
成功者とは、真実に少しでも近付けた人のことをいうのです。 
http://space.geocities.jp/gjdtk960/truth/002.html

どうなのでしょうか、真実。真実とは。真実を探しに最後まで読んだところで「ああ、キリスト教の勧誘だったのか」と気づきました。これは理解できるまで時間がかかりそうです。

次に出てきたのはこれでした。

どこにも明答を聞けぬ中、親鸞聖人ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はない。
「万人共通の生きる目的は、苦悩の根元を破り、“よくぞこの世に生まれたものぞ”の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである。どんなに苦しくとも、この目的果たすまでは生き抜きなさいよ」
http://naze-book.com/chapter1/section01/

サイト名自体が「なぜ生きる 公式サイト」です。親鸞の教えだそうですが、これもやはり先と同じように「物事の根本を探ることで自分の存在意義を見出す」みたいなことなのでしょうか、わかる気はしますが、これも理解できるまで時間がかかりそうです。
Googleでもサジェストで「生きる 意味」とか「人 なぜ生きる」とか出てくるのに、やはりこれには明確な答えはまだ無いようです。


ちょっと話を戻しますが、この質問は2人からたまたま同時期にもらいました。一人は「動物や植物を犠牲にしてまで人間が生きる価値があるのか、自分は死ぬべきでは」という人でした。もう一人は不妊に悩み「生殖が出来ないということは人としての価値が無いのでは」と悩む人でした。どちらも大きな問題です。「真実」や「目的」が彼や彼女のためになるのだろうか、彼らの心を救えるのだろうか、と思いました。そこで「人はなぜ生きるのか」という話です。


人間とは弱い生き物です。寒くても死ぬし、暑くても死ぬ、ちょっととんがったものに触ればすぐ傷つき、その力は他の動物に遠く及ばない。実際の話、人間はこの環境の中で即滅んでもおかしくないだろうし、地球の盟主などと呼べるようなスペックの生き物ではないのです。
でも人間は生き残った。その生存戦略とは何だったのか。それは「弱いものを徹底的に守ることで各個体が支配できる領域を増やす」ことです。人間は弱い生き物ですが、その人間の中にもさらに弱い個体が存在します。その個体を徹底的に守ること。子どもや老人、障害のあるものないもの、あらゆる個体を少しでも多く生き残らせることによって、地球上で生存できる領域を増やすこと。それによって他の生物の生存領域を狭め、人間の生存領域を守ること。これこそが人間の持つ根本的な生存戦略です。人間は他の動物と戦わず、人間の生存領域を守ることのみで生きる道があるのだと考えます。


そういう意味で「人はなぜ生きるのか」の答えは「弱いものを守ることこそが人間の生きる意味であり、自分より弱い者がいるのであればそれを守ることこそが生存戦略であり、人の存在価値はそこにある」といえるのだと思います。


種としての弱さを認め、社会を築くことでしか生存できぬ意味を知り、その上で「種を守るための社会」としての一員としての意味を見出すこと。


言い換えれば「自分が守らねばならぬ人がいる限り、生きて守れ、それが人の道だ」ということなのでしょう。俺もがんばります。

David Bowieについて


初めてデビッド・ボウイを認識したのは1985年に流れてたMTVでの"Ashes to Ashes"のMVだった。歪んだピアノ、奇妙な衣装、暗いサウンド。実に強い印象を残した映像だったが、小学生だったその時はその後に流れたハワードジョーンズの方が好きだった。だって楽しいじゃないですか、ポップで。
その後、ベストヒットUSAデビッド・ボウイミック・ジャガーと踊りながら"Dancing In The Street"を歌ってるのを見た。やはり小学生だった自分には「口がデカい二人が踊ってるノリのいい曲」くらいの認識しかなかった。でもこのあたりから「デビッド・ボウイ」と言う存在が気になってしょうがなくなってくる。100回くらいAshes To Ashesのビデオを見続け、一年間悩んだ結果レコードを買うことを決意する。お年玉抱えて地元のレコード屋に行き、Ashes to Ashesの入ったレコードを探した。Scary Monstersはジャケットが怖かったのでChanges Twoを買った。最高だった。これが全ての始まりだった。
http://www.amazon.com/Changes-Two-David-Bowie/dp/B002456EFY

その後はリアルタイムでボウイを追いかけ続け、過去を探った。探れば探るほど謎が深まる人だった。どの曲が最高とかどのアルバムがいいとかそういう話も楽しいんだが、亡くなった今となって改めて思うのは「ああ、この人は本当に人間だったのだろうか、実は触れ込み通り宇宙人だったのではないだろうか」ってことだ。NASAとかが秘密裏に宇宙に返したとか。デビッド・ボウイがDavid Robert Hayward-Jonesであったのは本当に初期の一時期だけで、その後の彼はイタコであり続けた。当初はトム少佐やアラジンセインなどの人格に憑依される存在だったが、RCAを離れた彼は世界に憑依されていたような気さえする。そして最終作「★(blackstar)」を残して唐突なこの別れ。自分はこの最新作、正直良くわからないんです。描く世界がもう地球上の物ではなくなったというか、全く違う次元の話をされてるというか。この作品を解読するのは「音楽」の軸ではないのかもしれない。そしてその謎を残して地球に落ちてきた男は映画とは異なり、地球を去った。もう悲しいとかを通り越して、最後までかっこよかったなと思うしかない。
https://pbs.twimg.com/tweet_video/CYcU8CNUoAA3TVA.mp4

俺たちのベストアルバム探しは終わらない

さてさて。国分さん、いやサマブリさんブログ更新停止。お疲れ様です。

国分純平 on Twitter: "ブログの今後について - キープ・クール・フール http://t.co/08iy4q2SFB"

詳細というか理由と言うかは、下記のブログエントリを直接読んでいただければいいのではと思います。
http://blog.livedoor.jp/summerbreeze1/archives/8369650.html
個人的に本当に残念です。リアルタイムの情報とシーンの分析的な要素がタイムリーにリリースされるというのがいわゆる「ブログジャーナリズム」なのではと思っているのですが、サマブリさんとモンチコンってそういうところあったのではないかなあと思います。サマブリさんが国分さんに変わるくらいの時期、国分さんが頭のおかしい徳利の解説を書きなぐっていた時期。あの頃を思い出すとほんと「面白かったよなあ」って思うんですよね。
なんというか、当人にしかわからない「スジ」みたいなものもあるのでしょうか、僕個人としては「そんなに思いつめることは何もないですよ!!」としか言いようがないし、本当だったらドヤ顔で「と言うわけで最新情報バンバン入ってきます!これからの更新もお楽しみにー!」みたいな感じでもよかったと思うんです。
でもそれをしなかった。国分さんらしいなあって思います。なんていうんでしょう、愛情故と言うか。うまく言えませんが国分さんって「自分の好きな音楽に対して義理堅い」のだと思うんです。
ツイッターランドにはまだ残ってくれるみたいなので、引き続きの活躍を期待しつつも、個人的にはどことなく寂しい気分にもなっています。Pitchforkの買収、モンチコン佐藤さんの急逝、サマブリさんの更新停止。全く関連のない話ではあるんですが、「これも時代か…」と寂しく思う今日この頃です。

音楽配信サービスの件と著作権の件とCD販売なんかを合わせて盛り上げるための手法みたいなナントカ

さて。更新も半年ぶりですか。

この記事非常に面白くてですね

大荒れ、定額音楽配信 アップル迎え撃つ国内勢:日本経済新聞
http://s.nikkei.com/1F9u6lv

この記事、今まで「CDが売れない」とか「音楽の未来は云々」とか言われていた話が全部入ってます。本文中の「インターネットの力で音楽業界のパンドラの箱をこじあける」の言葉がまさにまさにって感じなんですが、勇ましいです。


その現況や俯瞰に関してはこの記事が非常に詳しくて

音楽配信ビジネスが突然盛り上がっております
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20150611-00046566/

もう現状分析とかそういうのどうでも良いですよね。だって「やるしかない、ここにしか活路はない、海外からももう上陸が始まっている、進め音楽業界火の玉だ」になってるんですもんね。良し悪しとかまあどうでもよいです。


でもね、音楽業界の未来が全て音楽配信にあるのかっていうのは正直やっぱ考えづらいんですよね。SpotifyApple musicも現状無料プラン込みで会員数があるし話題になってるってのはありますし、既に聞き放題プランを行っているDocomoのdヒッツなんかを見る限り、正直単純な聞き放題に価値ってあるのかなあって正直思います。個人的にはすそ野を広げることもできずに惨敗するんじゃないかなあなんて思う。
正直な話、単品購入から聞き放題の形にした時点で、ユーザーは同等のサービスしか受けられなくなるわけです。「それっていいことなんじゃないの」って思う方も多いと思うんですが、商品を購入する動機は「他人が持ってないから」とか「他人が持ってるから」みたいなのが多いのではないかなあと思う部分もあり、全員が均等のプレイリストを持つこのサービスは今までの「コンテンツ」型サービスではなく完全な「会員型サービス」になります。そうなると「会員になりたいかなりたくないか」でしかない。他人との差別化も何もない。これは正直今の日本にはなじまないのではないかなあなんて思ったりもするのです。



でもよく考えてみたら「会員型サービス」って考えると、もうちょっと別ベクトルの商品って作れるんではないのかなあなんて思ったりもしたわけです。

例えばファンクラブビジネスに近い形の配信サービスと言う形はどうかと思うわけです。
アーティストがそれぞれチャンネルを持ち、それぞれ月額での配信価格を決定します。ユーザーは無料で登録を行い、チャンネルへのフォローを行います。フォローしたミュージシャン(及びレーベル?)のチャンネルの音源がオープンになり聞き放題になる。これはアーティスト側の音源コントロールも容易です。
そしてアーティスト側は「音源にするまでもない楽曲やコンテンツ」をその配信サービスに乗っけることでユーザーメリットを生ませると。ネット上で聴けないカバー楽曲や習作楽曲を配信してしまえばよいのではとも思うのです。非常に汚い発想ですが、フォロー数ランキングとかでファン同士が競うような状況になれば、ねずみ講よろしく「なあ頼むから一月だけ○○のチャンネル登録してくれ!頼む!」みたいなことがおこるのかもしれません。


そういえば今日こんな話もありましたが

カルメン・マキ、キレる。
http://togetter.com/li/833376

クローズドのファンクラブ音源のような形でのカバー楽曲の頒布ってどういう位置づけになるんでしょう。不特定多数への配信がNGなのであれば「特定多数に向けた配信」ってどうなんでしょうか。その考え方で行くと「フォローされてる人だけに配信される楽曲」というのは著作権的には何かしら新しい定義を考えてもいいのではと思います。


なんにせよ、音楽配信盛り上がるといいなと思いますが、前から何度も言うとおり「配信するサービスが山ほどあるより実際に音楽鳴らせる場所増やす方が先だろうが」という思いは変わりません。携帯端末からしか音楽が鳴らない未来でCDもパッケージも買おうとは思わないですよねえ。

2014年お久しぶりの新作をリリースしたアーティストまとめ

えー久しぶりに更新画面開いてますが、新規のエントリではなくただのツイートまとめです。2014年に「〜年ぶりの新作」をリリースした人のまとめです。便宜上10年ぶり以上に絞っております。ではいきます。

10年ぶりの新作→ビリー・アイドル、RONI SIZE、ジョージ・マイケル、THE MUFFSジャック・ブルース
11年→竹村延和、PLASTIKMAN、Why Sheep?、STIFF LITTLE FINGERS
12年→SLUT BANKS
13年→エイフェックス・ツイン、ハーフ・ジャパニーズ、ナタリー・マーチャント
14年→D'ANGELO、NUMB
15年→チボ・マット、ポール・ロジャース
16年→アフガン・ウィッグス
18年→ボーイ・ジョージ、フェイス・ノー・モア(シングルのみでアルバムは来年)、ネナ・チェリー
19年→アット・ザ・ゲイツ
20年→ピンク・フロイド、POPULATION ONE、CROZ(デビッド・クロスビー)
23年→ピクシーズ、ザ・プリミティヴズ
24年→The It(ラリー・ハードとハリー・デニス)
33年→ファンカデリック
35年→ザ・ポップ・グループ
38年→カーヴド・エア
44年→リンダ・パーハクス

一番驚いたのはやはり新作が判明して一週間足らずでリリースまで来たディアンジェロなんですが、44年ぶりの音源であるリンダ・パーハクスの変わらなさにも驚きました。今年の復活作は同窓会的なものではなく現役感漂うものが多かったように思います。

JASRACの独占禁止法による排除措置命令を考えながら著作権運用の未来を考えてみる

さて。JASRACの件です。ついに来たのですよ、この判決が。

公取委JASRACに対する排除措置命令取り消しは誤り」、東京高裁が判決
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20131101/515527/

この経緯、もうちょっとさかのぼってみましょうか。

そもそもは2009年2月にJASRAC公正取引委員会から受けた放送事業者との「包括契約」が独占禁止法違反に当たるとして排除措置命令が出たのがきっかけです。

JASRAC包括契約独禁法違反」公取委が排除措置命令
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2009/02/27/22612.html


 新たに管理事業に参入した4社のうち、イーライセンスが2006年3月にエイベックスマネジメントサービスなどから放送等利用に係る音楽著作権の管理の委託を受けた。イーライセンスは放送事業者に対して管理楽曲全体を包括的に利用許諾した上で、使用料は個別徴収とする内容の契約を締結した。

 当時エイベックスマネジメントサービスがイーライセンスに対して放送等利用に係る音楽著作権の管理を委託した楽曲の中には、大塚愛の「恋愛写真」を含め、すでに人気のあった楽曲や人気が出ることが予想される楽曲があった。

 しかし、FMラジオ曲を中心とした放送事業者は、エイベックス楽曲を放送番組で使用すると、JASRAC包括契約の他に、イーライセンスに支払う放送等使用料の追加負担を生じることを嫌って、2006年10月以後はエイベックス楽曲をほとんど使用しなかった。

 こうした事態を受けてエイベックスマネジメントサービスとイーライセンスは10月から12月までの使用料を無料としたが、無料期間終了後も放送等使用料を徴収できる見込みが立たないことから、エイベックスマネジメントサービスは2007年1月以後のイーライセンスへの放送等利用に係る音楽著作権の管理委託契約を解除するに至った。

 イーライセンスの管理楽曲を使うこと、すなわち放送事業者にとっては音楽著作権料のコストアップを意味するため、イーライセンスでは放送等利用に係る著作権の管理を委託されることはほとんどない。また、イーライセンス以外の他事業者についても、放送等利用に係る著作権管理事業の委託を受けることができないため、放送等利用料の管理業務を開始していない。

この件を受けて公正取引委員会が調査に入り「実質的に独占状態になる」と判断。JASRACに排除措置命令が下されたわけです。ただ、これに対して当然JASRAC側も反発します。

公正取引委員会に対する審判請求について
http://www.jasrac.or.jp/release/09/02_6.html


 昨年4月に立入検査を受けて以降、当協会は、公正取引委員会に対し、現行の放送使用料の徴収方法や将来的に考え得る変更内容、その実現のための課題、実現に要する時間等について詳細に説明してまいりました。しかしながら、このような状況に至ったことから、今後は、審判を請求して適正な事実認定と正 しい法令の適用を求めつつ、あるべき方向性を見出していきたいと考えています。

と殊勝なコメントを出したかと思えば、なぜか追記があって

◇ 今回の命令に関する当協会の見解の概要は、次のとおりです。
1. 当協会は反競争的な指示・要求などを一切していません。
2. 今回の命令では、放送使用料の算定において具体的にどのような方法を採用すべきなのかが明確にさ れていません。
3. 今回の命令は、放送事業者の協力が得られない限り、当協会単独では実行不可能な内容です。
4. 当協会にお支払いただく使用料は、あくまでも当協会の管理著作物についての利用許諾の対価です。

と俺は悪くない、とつい追記してしまうあたりがJASRACっぽいなあって思ったりもしていたわけです。

 これに対してイーライセンス側もプレスリリースを発表。

公正取引委員会独占禁止法(私的独占)違反による排除措置命令」について
http://www.elicense.co.jp/u/20090227.pdf

(略)
 当社としましては、それから6年の年月が経過し出されたこの「排除措置命令」により、公平公正な競争が促進されるよう、社団法人日本音楽著作権協会が速
やかに対処されることを期待します。
 また、放送権とともに、業務用通信カラオケ、貸レコードなど他の利用形態においても同様の「包括利用許諾契約」が締結され、競争阻害要因となってい
るおそれがあります。
 このような他の支分権・利用区分においても、今後、公平公正な競争市場が早期に形成されることを願っています。

 「おらJASRACてめえちゃんと対処しろよコノヤロウ、カラオケもレンタルもな!!」っていうね。


 ここで出てきたカラオケやレンタル、って言葉からもう一度この件の問題点がどこにあるのかを整理しておきましょう。

 まず包括契約に関して。2001年までは著作権管理事業というのは文化庁の許認可が必要になる仕事だったので、実質JASRACしか著作権を管理していなかったわけです。で、レコードやCDは何枚作成したとか売れたとかの実績値がほぼ出ますが、テレビとかだと困るわけです。著作権はちょっとしたジングルなんかでも発生するので、流した音源全曲を原則論で言えばチェックし報告する必要がある。しかしそれをチェックするのも管理するのも報告するのも実質出来ないから「年間いくらでJASRAC楽曲は使い放題にして下さい」ってのが包括契約。これは「著作権管理=JASRAC」の時代だったらほぼ間違いなかったわけです。
 しかし時代は流れてインディーなどの音源も増え、音楽業界の中の人間だけが音楽を作成するって時代ではなくなってきた。でもテレビやラジオでは「音源は使い放題でまとめてJASRACに報告でオールOK」というスタンスのままだったわけです。
 2001年に著作権管理事業の許認可をつかさどる「仲介業務法」が廃止されます。この時点で著作権管理事業に飛び込んできたのはイーライセンス、ジャパン・ライツ・クリアランスJRC)、ダイキサウンド、アジア著作権協会(確かMCJPとかもあった気がするが今ではイーライセンスのグループ会社になったみたい)。どの事業者も大した楽曲やアーティストは持ってなかった。ただJASRACとは違いレーベル寄りのスタンスで著作権管理を行う業者が多く、これは着メロや着うたのライセンス許可をはじめとするデジタル時代の著作権運用に大きく貢献したわけです。JASRACに比べると圧倒的にフットワークが軽い。デジタルの時代に対応するにはJASRACはあまりに大きくなりすぎていた。
 レンタルやカラオケに関しての著作権運用は過去の時代のものを引きずったままだ。かつてのレコードレンタルなどと違い今ではPOSでどのCDが何回レンタルされてたかであるとかは調査できないわけではない。カラオケも8トラやレーザーディスクの時代と違い、どの曲が何回利用されてたかは容易に調査できる。しかし過去の経緯と調査や作業の手間とトレードオフされる形で「包括契約」、言いかえれば「ブランケット方式」が成立していた。そしてそもそもの問題として「使用された曲に対して著作権料が支払われない事態」が発生する。これは音源の発表が大手レーベルに限られた上、著作権管理=JASRAC」だったから成立していた話であって、複数著作権管理団体が存在するとなると、著作権料の支払い等が著作権管理団体の間でてんでバラバラになっている事態が発生する。
 

 話がそれたが、JASRACは先の排除措置命令を不服とし、審判請求の申し立てをした。

公正取引委員会に対する審判請求の申立について
http://www.jasrac.or.jp/release/09/04_2.html


 審判請求で述べている当協会の主張の概要は、次のとおりです。
1 代替可能な商品・役務とは異なり、音楽の著作物は基本的に代替性を欠くこと。
2  放送事業者が放送使用料の追加的な発生を回避するために、他の管理事業者の管理楽曲を利用しないということはなく、利用しないと考えること に合理性がないこと。
3 包括契約及び1曲1回の個別契約の双方にそれぞれ存在理由があり、また、包括契約は諸外国のほとんどの著作権管理団体で採用されているこ と。
4 包括徴収する使用料に他の管理事業者分が含まれていないこと。また、このことは管理事業法の施行又は他の管理事業者参入前後で変わりないこ と。
5 包括契約の対象となる当協会の管理楽曲数は一定ではなく、年々増大していること。
6 我が国の放送使用料は、国際的にみて極めて低い水準にあり、諸外国の著作権管理団体からの求めにより、その改善に取り組んでいる最中である こと。
7 当協会は、本件について、排除措置命令という方法ではなく、公正取引委員会との協議を通じて実行可能で効果のある徴収方法を検討することが 適当だと考えており、排除措置命令の必要性についても正しい判断を求めること。

 これを見た時「?」ってなったのを覚えている。まず文章の意味が良くわからない。そして「包括契約」の存在意義を主張すればするほど、先の疑問が頭をよぎるわけです。改善策は「包括契約」を守ることしかないのか?っていうね。
 多分、放送業界の方からも強い圧力があったのではないかなあと考えている。今までバイキングだったものが一品一品の値段に変わるだなんてありえない、みたいな。正直テレビもラジオもJASRAC管理楽曲だから使ってるなんてことはなく、体のいい使い放題にJASRACがお墨付きを与えてるような状況にあったわけだ。これは悪意があってそうなっていたわけじゃなく、「過去はそれで何ら問題がなかった」ってことなんだろう。


 で、まさかの展開、東京高裁は公取委の排除措置命令について執行免除を決めるのです。

東京高裁、公取委の排除措置命令について執行免除を決定
http://www.jasrac.or.jp/release/09/08_1.html

 一億円の供託金を払って現状維持という謎の結論に。


 そして2013年、11月に再度排除措置命令。これでJASRACは一にも二にも改善策を検討しなければならなくなったのです。
 当然JASRACはキレてます。

審決取消訴訟の判決について
http://www.jasrac.or.jp/release/13/11_1.html

 
①本件排除措置命令及び本件審決の名宛人でないイーライセンスには原告適格(※)が認められないこと。
②仮に原告適格が認められるとしても,本件審決の事実認定は合理的であり,法解釈にも誤りはないため,本件審決には取消事由がないこと。

本日の判決はこれらの主張をいずれも否定したもので,到底承服することができないため,判決文を精査した上でしかるべき対応をとる必要があると考えています。

 そしてイーライセンス側は快哉を上げるわけです。

http://www.elicense.co.jp/u/20131101.pdf
当社といたしましては、放送権など新規支分権管理参入から7年、「排除措置命令」から3年9ヶ月が経過し出されました今回の判決を受け、放送権のみならず、本件包括徴収方式にて管理されている他の支分権や利用形態につきましても、公平公正な競争市場の早期形成に向け、一般社団法人日本音楽著作権協会が速やかに対処されること願っております。

実際JASRAC側がそれに対してなんら取り組んでないということはない。そのあたりはこのブログ記事に詳しい。

JASRACの審決取消で、新聞が書かなかったこと。 〜キーワードは、デジタル技術活用とガラス張りの徴収分配
http://yamabug.blogspot.jp/2013/11/jasrac.html

この記事に書かれている動きは確かに正しい方向ではあると思う。


 しかし、僕としてはJASRACはいかんせん大きくなりすぎた巨獣のような存在になってしまってるので一度解体すべきだと考えている。というのも「徴収」に対する問題は先のブログ記事にあるようなデジタル透かしと著作権情報集中サーバーみたいなものでOKなのかもしれないが、「分配」に関しての問題が未だに残っている。そしてそれはJASRACだけが何とかすればいいものではない。著作権管理自体は国で横断して管理すべきような状況なのだ。そして使用方法や分配方法などに関して各著作権運用管理事業者が行うという形にならないと、大元の問題は解決を見ない気がする。
 かつてひょんなことからJASRACの理事会を見学したことがある。この包括契約から生まれる収入の各著作権者への分配はその時からブラックボックスだったし、それに対して多くの著作権者である著名作曲家は異を唱えていた。放送局がJASRAC管理楽曲外のものを利用してもオールOKみたいな風潮に関しても質問であがっていた。そしてそれに対して理事長たちは他の放送局や実演家などの各種団体との関係からなのかのらりくらりと言い逃れていた印象を受ける。
 過去の経緯は過去の経緯だ。今さらそれを糾弾してもしょうがない。しかし「著作物を利用したら著作権者に対価が支払われる」という当たり前の原理原則をないがしろにし、既存の「業界」関係の内部で金を回し続けてきたことへのツケが今回の独占禁止法による排除措置命令に繋がったのだと思っている。